【高木神社】おむすびがいっぱい!縁結びの聖地「高木神社」参拝記

高木神社で御朱印を頂きました。
参拝日:2022.08.26

「高木神社」
所在地:東京都墨田区押上2-37-9
駐車場:なし
アクセス:東武スカイツリーライン「曳舟駅」より徒歩約5分、各線「押上駅」(A3出口)より徒歩約7分

東京スカイツリーのすぐ近く、閑静な住宅街の中に「おむすび」だらけの不思議で可愛い神社があるのをご存知ですか?
今回は、SNSでも話題の高木神社(たかぎじんじゃ)をご紹介します。


境内入り口の石鳥居

■なぜ「おむすび」なの?その由来とご利益
高木神社の御祭神は、日本神話に登場する造化三神の一柱、高皇産靈神(タカミムスビノカミ)です。
この「ムスビ」というお名前にちなみ、古くから「万物を生み出す神」「縁結びの神」として崇敬されてきました。
近年ではその名から転じて、「おむすび神社」として親しまれるようになったそうです。

・主なご利益: 縁結び、心願成就、交渉・相談事の成立


「拝殿」
応仁2年(1468年)に創建され、旧寺島新田の鎮守として崇敬されていました。
第六天魔王(他化自在天)をお祀りしていたため、古くは「第六天社」と呼ばれていたそうです。


■境内はフォトジェニックな「おむすび」の宝庫
一歩境内に足を踏み入れると、そこかしこに「おむすび」が隠れています。
おむすび石: 乱石積みの上に置かれたおむすび型の石など、境内の至る所にモチーフが点在しています。
願い事を書く絵馬も、もちろんおむすびの形!
小さなおむすびのフィギュアが付いたおみくじなど、持ち帰りたくなる可愛さです。


劇場版アニメ「からかい上手の高木さん」の公開を記念した「大ヒット祈願イベント」が5月28日に高木神社で行われたそうです。
出演されている声優さんや、主題歌を担当された方が書かれた直筆の絵馬が展示されていました。

■アニメ『からかい上手の高木さん』の聖地としても人気
高木神社は、同名のアニメ『からかい上手の高木さん』と公式コラボレーションを行っていることでも有名です。
ファンにはたまらない、キャラクターが描かれた限定御朱印帳や絵馬の授与があり、全国から「聖地巡礼」に訪れる参拝客が絶えません。


境内には「からかい上手の高木さん」の等身大パネルがあります。

■月替わりの「御朱印」が可愛すぎる!
高木神社の御朱印には、可愛らしいおむすびのスタンプが押されています。
行事や季節に合わせた月替わりの御朱印が人気で、何度も通いたくなる魅力があります。


書置きで頂いた御朱印

都会の喧騒から少し離れた場所にある高木神社は、温かい「おむすび」の雰囲気に包まれた癒やしのパワースポットでした。
素敵な「ご縁」を結びたい方は、ぜひおむすびを探しに参拝してみてはいかがでしょうか。
2022.08.27 23:59 | comment(0)

【経栄山題経寺(柴又帝釈天)】寅さんの面影を求めて|柴又帝釈天と参道グルメの休日

柴又帝釈天で御朱印を頂きました。

「経栄山題経寺」
所在地:東京都葛飾区柴又7-10-3
駐車場:あり(有料)
アクセス:京成線「柴又駅」から徒歩約3分

今日は、まるで映画の世界にタイムスリップしたような場所、葛飾区の「柴又帝釈天」へ行ってきました。
京成線の柴又駅を降りると、さっそく「フーテンの寅さん」の銅像がお出迎え。
ここからお寺へと続く参道は、まさに昭和レトロな下町情緒が全開です。


「寅さん像」
渥美清さん主演、山田洋次さん監督のテレビドラマ・映画シリーズ「男はつらいよ」のロケ地として有名な「柴又帝釈天」は、「寅さん像」の建つ柴又駅から徒歩5分くらいの場所にあります。


「柴又帝釈天門前参道商店街」
参道沿いの商店街には「男はつらいよ」で渥美清さん演じる「フーテンの寅」こと車寅次郎の実家としてロケ地となった「とらや」さん(当時は柴又屋)や、キャスト・スタッフの休憩・衣装替えに部屋を提供されていた「高木屋老舗」が現在も営業されています。


「高木屋老舗」
店内には「男はつらいよ」出演者の写真や、渥美清さん・山田洋次監督などから高木屋老舗に贈られた貴重な品々が展示されています。

■誘惑多すぎ!参道の「食べ歩き」
駅から帝釈天へと続く参道には、名物の草だんごや、香ばしい醤油の香りが漂うお煎餅屋さんがずらり。
今回は「高木屋老舗」さんで、焼だんごと草だんごをいただきました。
名物の草だんごはよもぎの香りがしっかりしていて、甘さ控えめのあんことの相性が抜群です。


おだんご🍡をほおばりながらののんびり時間は最高に幸せ!


「柴又帝釈天二天門」
明治29年(1896年)に建立された楼門は、左右に増長天と広目天の二天を安置している事から「二天門」と呼ばれています。


「帝釈堂」
手前の拝殿と奥の内殿から成り、内殿には帝釈天の板本尊を、左右に持国天と多聞天(毘沙門天)を安置しています。

■「彫刻の寺」の圧倒的な迫力
二天門をくぐり、いよいよ帝釈堂へ。
ここで絶対に見逃せないのが「彫刻ギャラリー」です。
壁一面を埋め尽くす木彫りの彫刻は、もはや芸術品。法華経の物語が細部まで緻密に彫られていて、思わず時間を忘れて見入ってしまいました。
まさに「東洋のワット・アルン」とも称される理由がよくわかります。

■経栄山題経寺の歴史
「経栄山題経寺」は寛永6年(1629年)、禅那院日忠と題経院日栄という二人の僧により開創された日蓮宗の寺院です。
9世住職・日敬の頃、題経寺の帝釈天が信仰を集めるようになり「柴又帝釈天」として知られるようになったそうです。


今回2種類の御朱印を拝受しました。

柴又は、映画ファンならずとも、どこか懐かしく温かい気持ちになれる素敵な街でした。
参道で美味しいものを食べ、見事な彫刻に触れ、美しい庭園で癒される。
そんな「心のリフレッシュ」にぴったりの休日コースです。
みなさんも、次の週末は寅さんのカバンを追いかけて、柴又をぶらりと歩いてみませんか?
2022.08.26 23:30 | comment(0)

【小諸鹿嶋神社】戦国を生き抜いた仙石秀久の祈りの地|歴史ロマンと絶品そば旅

豊臣秀吉最古参の家臣・小諸城主 仙石秀久も崇敬した「小諸鹿嶋神社」で書置きの御朱印を頂きました。
2022.06.09参拝

「小諸鹿嶋神社」
所在地:長野県小諸市古城雉子原丁221-2
駐車場:あり(無料)
アクセス: JR小海線・しなの鉄道「小諸駅」より徒歩約9分、上信越自動車道「小諸IC」より約6分

「無」の旗印を掲げ、失敗から復活を遂げた武将・仙石秀久。
その彼が小諸城主として崇敬した神社が、長野県小諸市に鎮座する小諸鹿嶋神社です。

今回は、そんな戦国の記憶が残る小諸鹿嶋神社を参拝し、書置きの御朱印をいただいてきました。

ご利益: 勝利祈願、必勝祈願、武勇の神、厄除け、家内安全など


小諸城大手門付近に鎮座していた鹿嶋神社でしたが、昭和24年(1949年)に小諸駅周辺の区画整備により現在の場所に遷座されました。


「社殿」
小諸鹿嶋神社は無人社なので、宮司さんに神社の詳細をお聞きする事が出来ませんでした。
初代小諸藩主・仙石秀久は当時、鹿嶋郭と呼ばれていた大手門近くの鹿嶋神社の社殿を造営しました。
鹿嶋神社は歴代の小諸藩主から崇敬を受け、手厚く保護されたそうです。

■小諸鹿嶋神社の歴史
小諸鹿嶋神社の創建時期などは不明です。
境内には7~8世紀ころの古墳があったそうで、歴史は相当古い神社という事は間違いなさそうです。
天正18年(1590年)豊臣秀吉から小諸領5万石を与えられ小諸城主となっていた仙石秀久が、徳川幕府より初代小諸藩主に任じられ、小諸城の大改修を行った際に、小諸城の鎮守社として社殿の造営を行なったそうです。

■仙石秀久
仙石家は、藤原北家魚名流の藤原利仁を家祖とする家でした。
しかし、清和源氏の名門・土岐氏の血を引く親族の仙石久重が、仙石家当主・仙石基秀の娘を妻に迎えて家督を継ぐと、以後は土岐源氏の支流として源氏を称するようになります。

もともと仙石家は美濃守護・土岐氏の家臣でしたが、土岐氏を追放して美濃の国主となった斎藤道三に仕えるようになりました。

秀久は天文21年(1552年)1月26日、斎藤家臣・仙石治兵衛久盛の四男として生まれます。四男であったため家督相続の資格はなく、越前の豪族・萩原国満の養子となりました。

やがて永禄年間、織田信長が台頭し、美濃国主・斎藤龍興との争いが激化します。この戦乱の中で仙石家の嫡男が討死すると、秀久は父・久盛に呼び戻され、家督を継ぐことになりました。

永禄10年(1567年)、斎藤家の重臣であった西美濃三人衆(稲葉良通・安藤守就・氏家直元)が信長に内応し、稲葉山城が落城。主君・斎藤龍興は伊勢長島へ落ち延びます。

このとき14歳だった秀久は助命され、木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉)の与力として織田家に仕えることになりました。

秀久は秀吉の馬廻として各地を転戦し、元亀元年(1570年)の姉川の戦いで武功を挙げます。これにより天正2年(1574年)、近江野洲郡に千石を与えられました。

さらに中国攻めでも活躍し、天正6年(1578年)には4千石に加増、翌年には摂津茶臼山城を与えられます。天正9年(1581年)には黒田孝高らとともに淡路へ渡り、岩屋城・由良城を攻略しました。

天正10年(1582年)、本能寺の変で織田信長が横死すると、秀吉は毛利と和睦して畿内へ引き返します。この間、秀久は淡路に残り、明智方の勢力を討伐して平定に貢献しました。

天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでは、秀久は四国方面の抑えとして行動します。淡路・小豆島を押さえた後、讃岐へ渡って引田城に入りますが、長宗我部方との戦いで敗北し、城を失います。この戦いでは軍旗を奪われる失態もありました。

しかしその後、淡路と小豆島の守備を固めて瀬戸内の制海権を維持し、功績により淡路5万石を与えられて大名となり、洲本城主となりました。

洲本城主となった秀久は水軍を統率し、紀州征伐や四国攻めで活躍。天正13年(1585年)には讃岐一国を与えられるまでに出世します。

しかし天正14年(1586年)、九州征伐の先鋒として豊後に派遣された秀久は、戸次川の戦いで島津軍の「釣り野伏せ」に敗北。長宗我部信親や十河存保を失う大敗を喫します。

さらに秀久自身も戦後処理を放棄して撤退したため責任を問われ、所領を没収されて高野山へ追放されました。

天正18年(1590年)、小田原征伐の際に旧臣を率いて参陣し、徳川家康の取り成しによって復帰します。以後の戦いで武功を挙げ、赦免されると信濃小諸5万石を与えられ、小諸城主となりました。

その後は朝鮮出兵や伏見城築城で功績を挙げ、加増を受けます。また伏見では石川五右衛門を捕らえたという伝承も残ります。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは徳川方に属し、徳川秀忠を補佐。第二次上田合戦では人質となる覚悟を示すなどして信頼を得ました。

その後、秀忠が将軍となると幕府から重用され、小諸藩主として領内整備や城の改修を進めます。

晩年は将軍家との関係も深く、特別な待遇を受けましたが、慶長19年(1614年)、江戸からの帰途に病を得て武蔵国鴻巣で死去しました。

幾多の戦を乗り越え、失意から復活を遂げた仙石秀久。
その彼が祈りを捧げた小諸鹿嶋神社には、ただの鎮守社ではない“武将の覚悟”のようなものが今も静かに息づいているように感じました。

「無」の旗印に込めた想いは何だったのか――
そんなことを考えながら境内に立つ時間は、まさに戦国ロマンそのもの。

小諸城とあわせて巡ることで、より深くこの地の歴史を感じられるはずです。


書置きで頂いた御朱印。
御朱印はお賽銭箱の横にあります。
初穂料500円はお賽銭箱に入れて下さい。


「そば蔵 丁子庵」
今回の御朱印巡りの最後に小諸で絶対に食べたかったお蕎麦屋さんに寄りました。
鹿嶋神社から車で5分くらいのところにあります。
テレビでも紹介されるほど小諸では有名なお店で、コロナ前は行列ができる事もあったそうです。


写真では明るい感じになってしまってますが、店内は暗めの照明効果もあって、レトロな雰囲気の漂うとても落ち着いた感じの店内です。
店内にはレトロな小物などが展示されていて、丁子庵さんを訪れた芸能人のサインも飾られていました。


「天ざる辛味大根おろしそば(大盛)」
少々お値段は張りますが、茄子の天婦羅はお味噌が挟んであって最高でした。
お蕎麦はのど越しもよく蕎麦粉の香りがしっかりとして、本当においしかったです。
大盛を注文したのは旦那です、私は普通盛でした(;・∀・)

歴史ある小諸鹿嶋神社で静かな時間を過ごし、最後は丁子庵で絶品のお蕎麦をいただく――。
歴史と食のどちらも満喫できる、小諸らしい一日となりました。

戦国の記憶が残るこの地を歩くと、何気ない風景の中にも物語が感じられます。
小諸を訪れる際は、ぜひゆっくりと巡ってみてください。
2022.08.20 23:15 | comment(0)
御朱印ギャラリー
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夫婦で関東の神社やお寺を巡りながら、いただいた御朱印を記録しています。
参拝時の雰囲気、アクセス、混雑状況など、実際に訪れたからこそわかる情報を紹介しています。

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