日光・上野・久能山と四大東照宮に数えられる芝東照宮で御朱印を頂きました。
参拝日:2023.05.17

「芝東照宮」
港区芝公園4-8-10
🅿️なし

■都会のど真ん中に「日光」がある?
オフィスビルが立ち並ぶ港区。東京タワーを目指して歩いていると、突如現れる緑豊かな一角。
そこが今回の目的地、芝東照宮です。
「東照宮」といえば日光を思い浮かべますが、実はここ、家康公を祀る「四大東照宮」のひとつ。
都会の喧騒が嘘のように消える、不思議なエアポケットのような場所なんです。

■芝東照宮の歴史
芝東照宮は元和3年(1617年)徳川家康公のご遺言により徳川家の菩提寺である増上寺の境内に「安国殿」として創建されました。
明治初期、明治政府の神仏分離令により、増上寺から切り離されて芝東照宮となり、明治6年(1873年)には郷社に列しました。
慶長6年(1601年)に還暦を迎えた記念に徳川家康公が自ら命じて彫刻させた等身大の寿像がご神体としてお祀りされています。


「手水舎」

■樹齢370年!家光公が植えた「巨大すぎる」イチョウ
境内でひときわ目を引くのが、東京都天然記念物の大イチョウ。
なんと、三代将軍・家光公が手植えしたと伝えられています。
戦火を免れて生き延びたこの木は、まさに「強運の象徴」。
見上げると、東京タワーと黄金色の葉(秋の場合)が重なって、新旧のパワーが混ざり合う最高のフォトスポットになります!・・・といっても、私のブログには載せていませんが('◇')ゞ


芝東照宮の社殿は昭和20年(1945年)5月25日の東京大空襲により焼失しましたが、昭和44年(1969年)現在の社殿が再建されました。

■ここがエモい!「自分を見つめた」家康公の寿像
ここの御神体、実はちょっと特殊なんです。
家康公が還暦のお祝いに、自ら彫らせた「等身大の木像(寿像)」が祀られているんです。
天下を取ったあとの家康公が、「自分はこうありたい」と見つめた姿。
そう思うと、拝殿の前で背筋がピシッと伸びる気がしませんか?
まさに「自分に打ち勝つ」パワーをもらえるスポットです。

■仕事帰りに「天下人の運気」をチャージ
「最近、勝負どころだな」「自分を律したいな」と思ったら、ぜひ芝公園へ。
参拝の後は、隣の増上寺を抜け、東京タワーを見上げながらプリンを食べて帰る……なんてコースも最高ですよ。


いざ拝受!芝東照宮の直書き御朱印、初穂料は500円でした。
芝東照宮の御朱印をいただくと、小さな「道中安寧」のしおり(お守り)を添えていただけることがあります。
この「おもてなしの心」に、帰り道の足取りも軽くなります。


芝東照宮の近くに建つ「旧台徳院霊廟惣門」
江戸幕府二代将軍・徳川秀忠を祀る霊廟の遺構です。
2023.05.20 01:29 | comment(0)

三縁山広度院(さんえんざんこうどいん)増上寺で御朱印を頂きました。
参拝日:2023.05.17

大本山増上寺(三縁山広度院増上寺)
所在地:港区芝公園4-7-35
駐車場:🅿️なし
アクセス:都営地下鉄三田線「御成門駅」「芝公園駅」から徒歩3分、都営地下鉄浅草線・大江戸線「大門駅」から徒歩5分(A6出口が便利)、JR線・モノレール「浜松町駅」から徒歩10分

東京・港区のシンボル、東京タワーのすぐ足元に鎮座する「三縁山 増上寺」。
徳川将軍家の菩提寺として名高く、都会の真ん中にありながら圧倒的なスケール感を誇るパワースポットです。
今回は、増上寺でいただける御朱印の種類や、見逃せない境内の見どころをレポートします!

■歴史
9世紀、真言宗の開祖・弘法大師空海の弟子・宗叡が武蔵国貝塚に建立した光明寺が増上寺の前身だと伝わります。
明徳4年(1393年)浄土宗第八祖酉誉聖聡の時、真言宗から浄土宗に改宗し、寺号も増上寺と改めました。
享徳の乱の時には、康正元年(1455年)に長尾景仲を追討する鎌倉公方足利成氏が増上寺に陣を構え、文明3年(1481年)には戦火で焼失してしまったそうです。
慶長3年(1598年)貝塚から、一時日比谷へ移っていた増上寺は、徳川家康による江戸城の拡張計画に伴い、現在地の芝へ移されました。
これは風水学的に、寛永寺を江戸の鬼門である上野に配し、裏鬼門の芝の抑えに増上寺を移したものと考えられています。


「大門」

■徳川家との関わり
天正18年(1590年)徳川家康が江戸に入城した際、時の住職・源誉存応に深く帰依したことから徳川家の菩提寺となりました。
境内には、2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の6人の将軍をはじめ、静寛院(和宮)など一族の墓所があります。
徳川将軍家の菩提寺となってからは関東十八檀林(徳川幕府から公認された浄土宗の僧侶養成機関“学問所”である18の寺院)の筆頭となるなど、大いに隆盛しました。


第3代将軍徳川家光が寄進した三解脱門(さんげだつもん)
元和8年(1622年)建立、江戸初期の面影を残す唯一の建造物で、国の重要文化財に指定されており、東日本最大級の二重門です。


主に禅宗寺院の「空・無相・無作」という三つの解脱の境地を表す「三解脱門」
間近で見ると迫力が半端ないです!


「鐘楼堂」
寛永10年(1633)年の建立ですが、現在の鐘楼堂ほ戦後に再建されたものだそうす。
梵鐘は延宝元年(1673年)に七度の鋳造を経て完成したもので、江戸三大名鐘の一つに数えられている東日本最大級の大梵鐘です。


大殿と東京タワーのコラボ
本堂(大殿)の真後ろに東京タワーがそびえ立つ景色は圧巻!
伝統と現代が融合した、増上寺ならではのフォトスポットです。


「大殿」
昭和49年(1974年)に再建された本堂は、首都圏では最大級の御堂です。
一階に檀信徒控室、二階に本堂、三階に道場、地下には増上寺宝物展示室があります。


「安国殿」
戦災で焼失した大殿の代わりに仮本堂として使用されていましたが、大殿完成の折りに境内北側に移転し、御堂「安国殿」としました。
徳川家康が戦に携えていた勝運の仏様「黒本尊」が安置されています。

■増上寺でいただける御朱印
増上寺の御朱印は、本堂右手の「安国殿」でいただけます。

「本尊 阿弥陀如来」
もっともスタンダードな御朱印です。
流麗な墨書きが美しく、まずは拝受したい一枚。

「黒本尊」
徳川家康公が深く信仰し、数々の危難を逃れ勝利を導いたとされる秘仏。
「勝運」の御朱印として非常に人気があります。

「西向聖観世音」
子育て・安産のご利益で知られる観音様の御朱印です。

期間限定・切り絵御朱印
最近では、季節のデザインをあしらった繊細な「切り絵御朱印」や、葵の紋が輝く限定朱印も登場しています。


直書きで拝受した御朱印
徳川家康所縁の秘仏「黒本尊」を頂きました。


こちらは書置きで頂いた「安国殿」の御朱印

増上寺は、歴史好きの方はもちろん「ここぞという勝負時にパワーが欲しい!」という方にもぴったりの場所。
東京観光のルートにも組み込みやすいので、ぜひお気に入りの御朱印帳を持って足を運んでみてくださいね。
2023.05.19 00:32 | comment(0)

山王山東昌寺で御朱印を頂きました。
参拝日:2023.05.15

「六国峰山王山東昌禅寺」
所在地:茨城県猿島郡五霞町山王山827-1
駐車場:あり(無料)
アクセス:東武日光線「南栗橋駅」から約5.7km、朝日自動車バス「西谷」バス停より徒歩約20分

茨城県の南西端、利根川と江戸川に囲まれた五霞町。
この静かな町に、戦国時代の熱い歴史を今に伝える古刹があります。
それが今回ご紹介する六国山 東昌寺です。

■関宿城主・簗田氏の菩提寺としての歩み
東昌寺の歴史を語る上で欠かせないのが、室町・戦国時代にこの地を治めた有力豪族、簗田(やなだ)氏です。
東昌寺は15世紀中頃、関宿城(現在の千葉県野田市)を拠点とした簗田氏の菩提寺として建立されました。
簗田氏は、関東の足利将軍家である「古河公方」の筆頭重臣として活躍した一族です。
東昌寺は、その一族の精神的支柱として、乱世の中で重要な役割を果たしてきました。


[楼門]
元禄3年(1690年)本堂新築に伴い、関宿城主・牧野成貞の妻より寄進されたそうで、楼門の天井に描かれた龍は、狩野派の流れを汲む絵師の作と伝わります。


「鐘楼堂」

■時代を見守ってきた至宝
境内に響く鐘の音も、実は大変貴重な歴史の証人です。
境内にある梵鐘は、元亨元年(1321年)に下野国(現在の栃木県)の鋳物師によって制作されたものと伝えられています。
中世の鋳造技術を今に伝える貴重な資料として、茨城県指定文化財に登録されています。


「本堂」

■東昌寺について
永享元年(1429年)即庵宗覚が下総国葛飾郡山王山に立ち寄り、夜に座禅をしていると老人が現れ、二人は問答を繰り返したそうです。
最後に老人は山王権現である事を即庵に明かし、自らは下総国・武蔵国など周辺六国を守護する事を誓い、即庵にこの地に留まるように求めると立ち去りました。
即庵は山王権現の求めに応じて山王山に「山王山六国寺」を建立しました。

嘉吉元年(1441年)鎌倉公方・足利持氏家臣・簗田持助が永享11年(1439年)に亡くなった父・簗田満助の菩提を弔うため諸堂を再造営、満助の法号より寺号を「東昌寺」に改称したとされます。
文明8年(1476年)古河公方足利氏の家臣で下総国水海城主・簗田持助が寄進した梵鐘が現在も残されています。

■北条氏照も滞在した?
永禄11(1568年)頃、栗橋城を接収した北条氏照が関宿城を攻める際、付城(敵の城を包囲し、兵糧攻めにする目的で築かれた一時的な陣城)として築いた不動山城(場所不明)と山王山城があります。
この山王山城こそが、東昌寺を中心に要塞化して築かれた城と考えられ、境内の周囲には土塁跡や堀の跡が残っています。
戦国時代に寺院が陣城や砦として使用されることは、決して珍しいことではありませんでした。
寺院は高台にあることが多く、建物や石垣、周囲の地形(堀や崖)が防御施設としてそのまま利用できたため、短期間で強力な拠点に改修できたので好都合だったのです。
もしかしたら北条氏照も、この山王山城に滞在していたかもしれませんね。


本堂に掲げられた古い扁額

■家康公ゆかりの伝説と「檜御扇子」
戦国が終わり江戸の世が始まる際にも、東昌寺は歴史の表舞台に登場します。
徳川家康がこの地を訪れた際に東昌寺に宿泊したという伝承が残っています。
寺には、家康公から贈られたとされる「東照神君檜御扇子(とうしょうしんくんひのきごせんす)」が町指定文化財として大切に保管されています。


ご住職より直書きで拝受した御朱印。
ご住職はとても気さくな方で私達夫婦を堂内にお招き下さり奥様がお茶を振舞って下さいました。
納経料は決まっていませんがお気持ちで1000円を納めさせて頂きました。

■歴史の息吹を感じる静かなひととき
かつて関宿城を中心とした北関東の覇権争いを見守り、徳川幕府の黎明期をも繋いできた東昌寺。
現在は、のどかな田園風景の中に佇む静かなお寺ですが、一歩境内に足を踏み入れれば、古河公方を支えた武士たちの情熱や、家康公が歩いた時代の空気を感じることができます。
歴史ファンならずとも、五霞町を訪れた際にはぜひ立ち寄ってみたい、深みのあるスポットです。


ご住職が半紙に書いて下さったものを額に入れて飾っています。
2023.05.18 18:16 | comment(0)
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関東を中心に御朱印巡りをしている夫婦です。
実際に参拝した神社やお寺の御朱印、アクセス、混雑状況をリアルに紹介しています。

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