白山神社(はくさんじんじゃ)で御朱印をいただきました。
白山神社で御朱印巡り
📋 基本情報
[小石川 白山神社]
所在地:東京都文京区白山5-31-26
駐車場:あり(有料)
アクセス:都営三田線「白山駅」A3出口より徒歩約3分、東京メトロ南北線「本駒込駅」1番出口より徒歩約5分

📝 参拝情報
参拝は24時間可能です。
社務所受付:10:00〜16:00

🖌️ 御朱印の種類と初穂料
・通常御朱印
基本的に書き置き(紙の御朱印)での授与となります。
初穂料(料金): 300円
受付時間:10:00〜16:00
授与場所:境内右側の社務所にてご対応いただけます。
毎週火曜日は社務所がお休みのため、御朱印の授与は行っていません。
・限定御朱印: 毎年6月の「文京あじさいまつり」期間中には、あじさいのスタンプが押された期間限定のデザインが登場することがあります。


「東京であじさいを見るならどこ?」って聞かれたら、私は迷わずここを推しちゃう!
文京あじさいまつりで有名な「白山神社」。
東京都民だけじゃなくても「あじさいの名所といえばここ」と思う方も多いはず。

そんな有名スポットだからこそ、ちょっと違った楽しみ方を――
あじさい以外の白山神社の素敵な見どころをご紹介します。

白山神社の御朱印
「いただいた書置きの御朱印」
「東京十社」の一社なので「元准勅祭十社之内」の朱印が押されています。

白山神社の鳥居
参道に建つ「鳥居」
住宅街の中に、ふっと現れるこの鳥居。
「え、ここ本当に神社あるの?」ってちょっと不安になるくらい、日常に溶け込んでいます。

でも一歩くぐると、空気が少し変わるのが不思議なところ。
さっきまでの生活感ある景色が、急に“参拝モード”に切り替わる感じ。

白山神社 は、こういう“街と神社の距離の近さ”が魅力のひとつ。
観光地っぽさというより、「地元に愛されてる神社」という雰囲気がすごく心地いいんです。

このゆるやかな坂と石段もポイントで、「よし、ちょっとだけ頑張って登ろうかな」って気持ちになる絶妙な距離感(笑)

派手さはないけど、なんだか気になる入口。
こういう場所って、だいたい“いい神社”なんですよね。

白山神社の「注連柱」
石段の上に建つ「注連柱(しめばしら)」
通常、注連柱の間には「注連縄(しめなわ)」が渡されていることが多いですが、白山神社 では少し珍しい造りになっています。

よく見ると、注連縄の代わりに金属製の装飾的なアーチが架けられていて、どこか洋風な雰囲気も感じられるデザイン。
伝統的な神社建築の中に、さりげなく個性が光るポイントです。

こういう“ちょっとした違い”に気づくと、神社巡りがぐっと面白くなりますよね。

白山神社の「手水舎」
🌷 お花が目を引く「手水舎」
手水舎に向かうと、まず目に入ってくるのがこのお花のかわいさ。
思わず「ちょっと待って、先に写真撮らせて…」ってなるやつです(笑)

竹の柵に沿って咲く濃いピンクと白の花が、まるでお花の小道みたいで、手水舎に入る前から気分がふわっと明るくなります。

白山神社 は、こういうさりげない演出が本当に上手。
“映えを狙ってる感じ”じゃないのに、自然と可愛く見えるのがポイント高いんですよね。

手を清める前に、ちょっと癒される。
このワンクッションがあるだけで、参拝の時間がぐっとやさしく感じられます。

白山神社の「狛犬」
👀 狛犬さんの「おめめ」に注目!
ここの狛犬さん、よく見ると目がゴールドに輝いているんです!
ちょっとキリッとしていて、でもどこか愛嬌のあるお顔。
SNS映え間違いなしの隠れ注目ポイントです。

白山神社の「拝殿」
「拝殿」
正面に立つと、その繊細な彫刻と美しい屋根の曲線に思わず見入ってしまいます。

派手すぎないのに、しっかりとした存在感。
この“ちょうどいい品の良さ”が、白山神社 らしさかもしれません。

近づいてみると、木の質感や細かな装飾がとても丁寧で、長い年月を経てきた落ち着きと温かみが伝わってきます。

ここに立っていると、不思議と気持ちがすっと整う感じ。
「ちゃんとお願いごとしようかな」って、自然と思える空気があります。

賑やかな都内にいながら、少しだけ日常から離れられる場所。
そんな時間をくれるのが、この拝殿です。

ご利益は「縁結び」「歯痛平癒(歯痛止め)」など。

御祭神の菊理姫命(ククリヒメノミコト)は、男女の仲を取り持った神話から「くくる(結ぶ)」神様として信仰されています。
江戸時代からは「歯の神様」としての信仰が起こり、現在まで続いています。

📜 ご由緒
天暦2年(948年)、加賀の一宮・白山比咩神社からご神霊が迎えられたのが始まり。

江戸時代には、徳川秀忠公の命令で今の小石川植物園がある場所に移りましたが、その後、5代将軍になる徳川綱吉公の屋敷を建てることになったため、こちらの場所へ。

そんなご縁から綱吉公や母の桂昌院さまに深く愛され、将軍家からも大切にされてきた素敵な神社なんですよ。

明治には准勅祭社にも選ばれた、格式高くも温かな神社です。

こうして長い年月の中で、場所を変えながらも大切に守られてきた白山神社。
今、何気なく歩いているこの境内にも、そんな“人の想いのリレー”が静かに積み重なっているんですね。

💡「准勅祭社」とは?
明治元年(1868年)の東京遷都に際し、新しい都の鎮護と万民の平安を祈願するため東京の守護として明治天皇が勅使を遣わし、幣帛を奉納させた東京近郊の12社のこと。
明治3年(1870年)9月の社格改定までの約2年間という短期間の制度でした。

🦷「歯の神様」ってちょっとシュールじゃない?
白山神社は、「歯痛平癒」という珍しいご利益でも有名。
境内には、役目を終えた歯ブラシを納める「歯ブラシ供養」の場所もあって、なんだかほっこり。
「一生おいしいスイーツが食べられますように…🙏」なんて、食いしん坊な願い事もここなら叶えてくれそう(笑)

白山神社の「孫文の腰掛け石の碑」
歴史オタクじゃなくても震える!「孫文の腰掛け石」
境内の片隅に、ちょっと気になる石碑を発見。
ここには、中国の革命家・孫文さんが座ったと伝わる石があるそうです。

明治43年(1910年)5月中旬、日本に亡命中だった孫文さんが、この場所で、流星群を見ながら親友と語り合っていたとか…。
歴史の教科書に出てくる人物が、こんな静かな場所で夜空を見上げていたと思うと――

ちょっとロマンチックすぎませんか?

賑やかな観光スポットとは違って、こういう“ひっそりした場所”にこそ、ふと心を掴まれるストーリーが残っているのかもしれません。

💡そもそも「孫文」さんってどんな人?
白山神社にゆかりがある孫文さん、実は中国ではとても有名な存在なんです。

簡単にいうと、中国の近代国家の礎をつくった“革命のリーダー”。
清(しん)という王朝を倒して、新しい国の形を目指した人物で、「中国建国の父」とも呼ばれています。

…と聞くと、かなりスケールの大きい人なんですが、そんな偉人がこの場所で夜空を見上げていたと思うと、ちょっと不思議な感じがしますよね。

歴史上の偉人って遠い存在に思えるけど、こういうエピソードを知ると、少しだけ身近に感じられる気がします。

🏔️ 期間限定の「富士山」に登れる?!
私は4月に来ちゃったけど、それでも魅力はたっぷり感じられましたが…、白山神社の最大の見どころはやっぱり6月の「文京あじさいまつり」!

境内から隣接する白山公園にかけて約3,000株のあじさいが咲き誇り、一歩足を踏み入れるだけで、まるで色の世界に包まれるような感覚に。

青や紫、ピンクに白――同じあじさいでも少しずつ表情が違っていて、歩くたびに「次はどんな景色かな?」ってワクワクが止まりません。

しかもこの時期だけ、普段は柵に囲まれて入れない「白山富士(ミニチュアの富士山)」が、特別に開放されるんです。
狭い道を登っていくと、足元から頭の上まであじさい、あじさい、あじさい!
まるであじさいの海に溺れてるみたいな、究極の没入感が味わえます。

写真好きはもちろん、ただのんびり歩くだけでも、しっかり癒される贅沢な時間。

これはもう…
「次は絶対この時期に来よう」って思わされるやつです(笑)

文京あじさいまつり 2026年6月6日(土)~6月14日(日)

⛩️ 参拝後記
白山神社でのひととき。
ここは不思議と心に深く残る、温かい場所でした。

あじさいの時期を外して訪れても、静寂の中に歴史の息遣いを感じて、一歩進むごとに心がすーっと軽くなっていくよう。
6月の華やかな『文京あじさいまつり』も楽しみですが、季節を問わず、それぞれの色を見せてくれるのが白山神社の奥ゆかしさですね。

気分を変えたい時に、お気に入りのカフェへ行くような感覚で訪れたい。
また明日から頑張れそうな、そんな力をくれる素敵な神社でした。

『次はあじさいの季節にね』と約束して、今日のお参りはおしまい。
2026.04.26 04:45 | comment(0)

長谷山 本土寺(ちょうこくざん ほんどじ)でご首題と御朱印をいただきました。
本土寺
📋 基本情報
[長谷山 本土寺]
所在地:千葉県松戸市平賀63
駐車場:あり
アクセス:JR常磐線「北小金駅」北口から徒歩で約10分

📝 参拝情報
参拝時間
通常:5:00〜17:00(閉門)
有料参拝期間(6月・11月など):9:00〜16:30(最終受付 16:00)
参拝料
大人(中学生以上):500円
小学生以下:無料
障害者:300円(手帳提示)
※花の開花状況や紅葉の見頃に合わせた期間以外は、基本的に無料で参拝できます。
見頃の時期
花菖蒲:6月上旬
あじさい:6月中旬〜下旬
紅葉:11月下旬〜12月上旬

🖌️ 御朱印の種類と志納料
初穂料:500円
季節限定御朱印:500円(あじさい・花菖蒲・紅葉などの図柄が入った限定デザインがあります)
御朱印帳:あり(紅葉デザインなど 1,000円)
日蓮宗の寺院であるため、通常の御朱印のほかに、お題目帳(御首題帳)をお持ちの方は、お題目(南無妙法蓮華経)を記した「御首題」をいただくことも可能です。
受付時間:9:00〜16:00
授与場所:境内奥にある寺務所でご対応いただけます。


千葉県松戸市にある 本土寺。
「あじさい寺」として有名ですが、実際に歩いてみると、そこにあるのは花だけではありません。

赤門から始まり、仁王像の迫力、静かに佇む塔頭、歴史を刻む門や堂宇――
境内を一歩進むごとに、鎌倉時代から続く時間の積み重ねを感じることができます。

さらに面白いのは、ただ古いだけではなく、時代ごとに形を変えながら“今も生きているお寺”だということ。

今回は御朱印巡りをしながら、そんな本土寺の見どころを、ちょっとしたエピソードや歴史と一緒にじっくり歩いてみました。

――ただの観光では終わらない、本土寺の魅力をお届けします。

本土寺御朱印
「いただいた直書きのご首題」

本土寺御朱印帳
「紫陽花と金の箔押しの三つ葉葵紋がデザインされたお題目帳」
お題目をお書入れいただき、1.500円でした。

本土寺御朱印
「直書きでいただいた通常御朱印」
こちらは宗派関係なく、一般の御朱印帳(納経帳)にお書入れいただけます。

本土寺仁王門
立派な朱塗りの仁王門――通称「赤門」
この門、ただの入口だと思ったらちょっともったいない。
よく見ると左右には仁王像が安置されていて、まさに“結界”。
ここをくぐる瞬間、日常から少し離れて、歴史の中に足を踏み入れるような感覚になります。

本土寺仁王門
掲げられた「長谷山」の扁額
実は本土寺の正式な山号で、鎌倉時代の開山以来の由緒を今に伝えています。
本土寺は建治3年(1277年)、日蓮宗の僧・日朗上人によって開かれたとされ、あの 日蓮 の教えを受け継ぐ由緒あるお寺なんです。

ちなみにこの赤門、見た目の華やかさとは裏腹に、どこか“守り”の雰囲気が強いのが特徴。
実際、江戸時代には地域の信仰の中心として、人々の心の拠り所になっていました。
今でいう「パワースポット」の先駆けみたいな存在ですね。

ちょっと面白い話をひとつ。
本土寺は「あじさい寺」として有名ですが、実は紅葉もかなりの名所。
つまり――
「梅雨も秋も強い、二刀流の寺」
…これはなかなか珍しいタイプです。

御朱印をいただく前に、この門で一呼吸。
写真を撮るのもいいですが、ぜひ一度立ち止まって見上げてみてください。
木々に囲まれた赤門が、まるで「ようこそ」と迎えてくれているように感じられます。
この一歩目の体験が、その後の参拝や御朱印巡りをぐっと特別なものにしてくれますよ。

本土寺仁王像
本土寺仁王像
💪 迫力ある「金剛力士像」
仁王門をくぐると、まず出迎えてくれるのが迫力満点の仁王像。
ガラス越しでも十分に伝わるこの威圧感、
「これは悪いこと考えてたら即バレるやつだな…」と、思わず背筋が伸びます。

この仁王様、正式には「金剛力士像」といい、仏教世界への入口を守る守護神。
口を開けた阿形(あぎょう)と、口を閉じた吽形(うんぎょう)の二体で一対になっていて、「あ・うん」で宇宙の始まりと終わりを表しているんです。
つまり――
ここを通る時点で、すでに“結界チェック”は完了しているわけですね。

そして今回、ちょっと珍しい体験ができました。
なんと仁王像の足元にある小さな扉が開いていて、普段は見えない“足元”を間近で拝見!

これがもう、とにかくデカい。
いや本当にデカい。

写真で見ると分かるんですが、指一本一本がまるで木の根っこみたいに力強くて、
「この足で踏み込まれたら煩悩ごと粉砕されそう…」というレベル。
思わず自分の足と見比べてしまいましたが、完全に別カテゴリの存在でした(笑)

実は仁王像の足には、しっかりと地面を踏みしめることで「邪気を封じる」という意味があります。
つまりこの巨大な足は、見た目のインパクトだけでなく――
参拝者を守る“見えないバリア”の象徴でもあるんですね。

鎌倉時代に創建された 本土寺 は、長い歴史の中で多くの人々の信仰を集めてきました。
こうした仁王像もまた、時代を超えて「守る」という役目を果たし続けている存在です。

御朱印をいただく前に、この仁王様の足元にもぜひ注目してみてください。
もし運よく扉が開いていたら――それはちょっとした“ご利益チャンス”かもしれません。

本土寺塔頭「佛持院」
本土寺の境内にある塔頭「佛持院」
赤門をくぐって少し進むと、ふと現れる落ち着いた佇まいのお堂。
ここが本土寺の塔頭、 佛持院 です。

正直に言うと、最初は「ちょっと立派なお堂だな」くらいに思って通り過ぎそうになりました。
でも、これがなかなかの“歴史の生き残り”。

佛持院は応永元年(1394年)、日覚上人によって開かれた古刹。
そしてかつて本土寺には「4院6坊」と呼ばれる多くの塔頭が立ち並び、かなりの規模を誇っていたそうです。

ところが時代の流れとともにその多くは姿を消し――
現在まで残ったのは、この佛持院ただ一つ。

そう思って改めて見ると、この静かな空間がちょっと違って見えてきます。
観光客で賑わう境内の中にあって、ここだけ時間の流れがゆっくりしているような、不思議な感覚。

戦国時代好きとしては、こういう「生き残り」ってグッときませんか?
いわば佛持院は、本土寺の“最後の砦”。
かつての賑わいを知る唯一の存在が、今も静かにそこにあるわけです。

御朱印巡りで訪れると、どうしてもメインのお堂に目が行きがちですが、
こういう脇にある歴史スポットにこそ“通な楽しみ方”が隠れています。

ちょっと足を止めて、かつての「4院6坊」に思いを馳せてみる――
そんな時間も、本土寺の魅力のひとつかもしれません。

💡 塔頭(たっちゅう)とは?
大寺院の敷地内にある個別の坊や脇寺のことです。
もともとは高僧の徳を慕い、墓塔を守るために建てられた寮舎が始まり。
「塔」は高僧の墓を指し、その「頭(ほとり=近く)」に位置することから「塔頭」と名付けられました。

本土寺境内
🌄 清々しさが感じられる「境内」
境内を進み、ふと本堂の方へ目を向けると広がるこの景色。
背後に高い建物もなく、空と緑に包まれたその姿は、どこか時間が止まったような静けさを感じさせてくれます。

こういう場所に立つと、つい思ってしまうんです。
「これ、昔の人もほぼ同じ景色を見てたんじゃないか?」と。

もちろん細かい建物の配置や木々は変わっているはずですが、
少なくとも“空の広さ”や“山の気配”は、鎌倉時代や室町時代と大きくは変わっていないはず。

本土寺 は1277年創建。
つまりこの場所には、約750年の時間が積み重なっています。
戦国好きとしては、ここでちょっと妄想が捗ります。
もしかすると戦国時代、武士や僧たちも同じようにこの本堂を見上げながら、戦の無事や家の繁栄を祈っていたのかもしれません。

そして現代。
スマホ片手に写真を撮っている自分が、その延長線上にいると思うと、なんだか不思議な気分になります。

派手な見どころではないかもしれませんが、この“変わらない景色”こそが、本土寺の一番の魅力かもしれません。
ぜひ一度立ち止まって、何百年も前の人たちと同じ目線で、この本堂を眺めてみてください。

本土寺「五重塔」
🍁「五重塔」
境内を歩いていると、ひときわ目を引く朱塗りの五重塔。
思わず「おお…」と声が出てしまう存在感です。

この五重塔、実は見た目の美しさだけじゃありません。
平成三年(1991年)、日像 菩薩の六百五十遠忌を記念して建立された比較的新しい建物なんです。

高さは約18メートル。
下から見上げると、層ごとに張り出した屋根が重なり合って、まるで空に吸い込まれていくような感覚になります。

そして驚きなのが中身。
この塔の内部には、なんとインドのネール首相から贈られた「真仏舎利」が納められているとのこと。
つまりこれは――ただの記念塔ではなく、「仏教的にもかなり特別な存在」なんです。

さらに内部には千体仏も祀られているそうで、外からは想像できないほど“中身が濃い”。
例えるなら、見た目はクールなのに中身は超パワフルな武将タイプですね(笑)

本土寺 の歴史は鎌倉時代に始まりますが、この五重塔のように現代になっても新たな信仰の形が加わり続けています。

古さと新しさが同居しているのも、このお寺の面白いところ。
その中に納められた“とてつもないもの”に思いを馳せると、ただの景色が一気に特別なものに変わります。

本土寺「鐘楼」
🔔「鐘楼」
五重塔のすぐ隣に、ひっそりと佇む鐘楼。
派手さはないものの、どこか落ち着いた存在感があって、思わず足を止めてしまいます。

こういう配置を見ると、ちょっと面白いことに気づきます。
視線を上げれば空へ伸びる五重塔、そしてその隣には静かに時を刻む鐘楼――
まるで「動」と「静」が並んでいるような絶妙なバランスです。

そしてこの鐘楼、見た目以上に“中身がすごい”。
梵鐘には建治四年(1278年)の鋳造銘があり、なんと県内で二番目に古い鐘とされています。

……いや、本土寺すごくないですか?
創建(1277年)のほぼ直後に作られた鐘が、今も伝わっているわけです。

さらにこの梵鐘、昭和52年(1977年)には国の重要文化財に指定。
現在は宝物殿に大切に保管されているため、ここにあるのは実物ではありませんが――
むしろそれだけ“本物が貴重すぎる”ということ。

本土寺 の境内は、こうして一見控えめな場所にも、とんでもない歴史が詰まっています。
五重塔の迫力を味わったあとに、この鐘楼で一息つく。
そんな流れもおすすめです。

本土寺「本堂」
🏯「本堂」
境内の中心に堂々と構える本堂。
近くまで来ると、その重厚な造りと落ち着いた雰囲気に、自然と背筋が伸びます。

この本堂、実はなかなかドラマのある建物です。
建立されたのは慶安四年(1651年)。
小金城主一族に連なる恵了院日修が、亡き娘の菩提を弔うために造立したと伝えられています。
つまりこの建物、もともとは“祈りの結晶”、一人の父の想いから始まっているんです。
込められた“祈りの歴史”を感じると、参拝の時間がぐっと深いものになります。

さらに面白いのが、その後の変遷。
もともとは祖師堂として建てられたものが、明治15年の宗祖六百遠忌の際に現在の場所へ移され、本堂へと役割を変えます。
そして昭和52年、宗祖七百遠忌のタイミングで大きく拡張され、現在の姿になりました。

こうして見ると――
この本堂、ただ“古い建物”ではなく、
「時代ごとに役割を変えながら生き続けてきた存在」なんです。

本土寺 の歴史は鎌倉時代から続いていますが、その中でもこの本堂は「人の想い」と「時代の節目」を何度も受け止めてきた場所。
戦国好き的に言うなら、一度きりの役目で終わるのではなく、何度も“再編成”されながら最前線に立ち続ける城みたいな存在ですね。

本土寺「秋山夫人の墓」
🥀 徳川家康の側室「秋山夫人の墓」
本堂脇に、徳川家康の側室・秋山夫人(下山殿)の墓所があります。
色鮮やかな花々に囲まれたこの場所には、戦国時代を懸命に生きた一人の女性の物語が眠っています。

🌸 歴史の余韻を感じる場所――秋山夫人の物語
彼女は、武田信玄に仕えた名門・秋山氏の血を引き、激動の戦国時代を歩みました。

武田家の家臣・秋山虎康の娘として生まれた彼女は、武田一門である穴山信君の養女となり、後に徳川家康の側室となりました。

武田家の滅亡、そして本能寺の変という激動の中、彼女は家康との間に五男・万千代(武田信吉)を産みます。
この誕生は、一度途絶えかけた名門「武田」の名跡を未来へ繋ぐという、大きな役割を担うものでした。
その後、武田の名跡を継いだ信吉は、天正18年(1590年)に徳川家康の関東移封に従って下総国小金城3万石の城主となりました。
天正19年(1591年)10月6日、秋山夫人はそれを見届けたかのように24歳の若さで亡くなったそうです。

本土寺の門前に葬られていましたが、死後93年を経て、甥にあたる水戸藩主・徳川光圀(水戸黄門)の手によって現在の立派な墓石が建てられました。

御朱印巡りや花鑑賞の合間に、ぜひこの場所へ立ち寄ってみてください。
そこには、教科書には載らない、一人の女性が繋いだ歴史の息吹が今も静かに流れています。

本土寺朗師門
「朗師門(ろうしもん)」
菖蒲池から妙朗堂へ向かう途中、ひっそりと現れるこの趣ある門。
思わず通り過ぎてしまいそうですが、実はここ――かなり“渋い名スポット”です。

正式名称は「開山門(かいざんもん)」。
しかし地元では「朗師門」という名前で親しまれています。

この通称の由来がまた面白い。
本土寺二代目住職・日伝は、師である 日朗上人を深く尊敬しており、
「この門は師匠が出入りする時以外は決して開けない」
――そんなエピソードが伝えられています。

いやもう、忠誠心がガチすぎませんか(笑)
戦国で言えば、「主君専用の門」みたいなもの。
普通は防御や格式のための門ですが、ここは完全に“敬意の象徴”として存在していたわけです。

さらに注目したいのが、さりげなく使われている丸柱。
なんと延慶3年(1310年)のものとされ、本土寺の中でも最古クラスの建築材。

つまりこの門――
見た目は落ち着いていますが、700年以上前の空気をそのまま残している場所なんです。
本土寺の境内には華やかな見どころも多いですが、こういう“静かにヤバい歴史スポット”を見つけるのも醍醐味のひとつです。

長谷山 本土寺「妙朗堂」
「妙朗堂(みょうろうどう)」
境内の奥、緑に包まれるように静かに佇むお堂。
ここが妙朗堂――本土寺の中でも、どこか“やさしい空気”を感じる場所です。

祀られているのは、日朗上人の母・妙朗尼(みょうろうに)。
本土寺を開いた人物を支えた存在であり、「母菩薩」とも称される女性です。

戦国や歴史の話というと、どうしても武将や僧に目が行きがちですが、その背景には必ず“支えた人”がいるんですよね。

妙朗尼は、安産や子育ての守護として信仰を集めており、この場所に立つと、どこか包み込まれるような穏やかさがあります。

建物自体は大正末期に建立され、昭和28年に現在地へ移築。
銅板葺きの屋根が落ち着いた光を放ち、派手さはないものの、長い時間を静かに見守ってきた風格が感じられます。

そしてこの妙朗堂、実は“季節イベントの主役級”。
6月下旬になると、周囲があじさいで埋め尽くされ、一気に華やかな空間へと変わります。

静かな母の祈りの場が、色とりどりの花に囲まれる――
このギャップがまたいいんです。

本土寺 を訪れたら、ぜひこの妙朗堂にも足を運んでみてください。
派手さはないけれど、じんわりと心に残る、そんな場所です。

長谷山 本土寺「瑞鳳門」
長谷山 本土寺「瑞鳳門」
「瑞鳳門(ずいほうもん)」
境内を歩いていると、ふいに現れるこの重厚な木造の門。
思わず足を止めて、「ここ、いいな…」と感じる人も多いはずです。

この門は文政4年(1821年)建立。
つまり、すでに200年以上この場所に時を刻んできた存在です。

近くで見るとわかるんですが、木の色合いや質感がとにかく渋い。
新品には絶対出せない“時間の重み”が、そのまま門の雰囲気になっています。

もともとは「旧輪蔵院」の門で、かつては像師堂の前に建っていたもの。
時代の流れとともに現在の場所へ移築され、今もこうして参拝者を迎えています。

こういう移築された建物って、ちょっとロマンありませんか?
いわば“場所を変えても役目を果たし続ける古参メンバー”。
戦国でいうと、主君が変わっても最前線に立ち続ける歴戦の武将みたいな存在です。

そしてこの門、実は季節になると一気に主役級に躍り出ます。
6月のあじさいシーズンには、門の向こうに色とりどりの花が広がり、まさに“額縁構図”の絶景に。

本土寺 は「あじさい寺」として有名ですが、その魅力を一番“写真映え”する形で切り取れるのが、この門かもしれません。
通り抜けるだけではもったいない場所、ぜひ一度立ち止まって、この門越しの景色を楽しんでみてください。

長谷山 本土寺「赤門」
仁王門だけじゃない!知られざる「赤門」
本土寺の「赤門」といえばほとんど(全員かも)の人が「仁王門」を思い浮かべるはずです。
しかし、寺務所の近くにはこんなに立派な赤門が建っています。
歴史やその詳細は不明ですが、塗装が少し剥がれた柱や、使い込まれた木の質感を見ると、長い時間、多くの参拝者を見守ってきたことが伝わってきます。
こういう門にこそ、本土寺の“リアルな歴史”が詰まっているのかもしれません。

⛩️ 参拝後記
本土寺を歩いてみて感じたのは、「ここはただの観光地じゃない」ということでした。

仁王門の迫力、歴史ある建物、静かに残る塔頭、そして戦国の記憶を伝える史跡――
それぞれがバラバラに存在しているのではなく、すべてが繋がって“今の本土寺”を形作っています。

そしてその中を歩く自分もまた、ほんの一瞬ですがその歴史の流れの中にいる。
そう思える場所って、実はなかなかありません。

御朱印をいただくという目的があってもいいし、季節の花を楽しむのももちろんいい。
でももし少しだけ時間に余裕があれば、ぜひ立ち止まってみてください。
何気なく通り過ぎそうな門や建物の中に、思わず誰かに話したくなるような“物語”が隠れています。

そんな発見があるからこそ、また訪れたくなる――
それが本土寺という場所なのかもしれません。
2026.04.25 17:40 | comment(0)

駒木諏訪神社(こまきすわじんじゃ)で御朱印をいただきました。
駒木諏訪神社
📋 基本情報
[駒木諏訪神社]
所在地:千葉県流山市駒木655
駐車場:あり
アクセス:東武アーバンパークライン「豊四季駅」より徒歩約10分

📝 参拝情報
開門時間:午前5時30分~午後5時00分
社務所受付:午前9時00分~午後5時00分(祈祷や御朱印など)

🖌️ 御朱印の種類と初穂料
・通常御朱印のみの頒布となります。
初穂料:500円
授与場所:拝殿に向かって左手にある社務所にてご対応いただけます。
受付時間:午前9時00分〜午後4時00分
※午後3時以降は「書き置き」での授与となります。

流山の住宅地の中に、ひっそりと広がる鎮守の森。
駒木諏訪神社は、一見すると静かな神社ですが、その背後には壮大な歴史が隠れています。
源義家の伝承、江戸幕府の小金牧、そして人と馬が関わってきた長い時間――
この場所は、そうした記憶が幾重にも重なった“物語の舞台”でもあります。
今回は、この神社の歴史と魅力をご紹介します。

駒木諏訪神社「御朱印」
「直書きでいただいた御朱印」

駒木諏訪神社「神馬」
一の鳥居の手前に建つ「神馬(しんめ)」の像
参道の入り口で立派な神馬の像が出迎えてくれます。
この像は900年前、源義家が馬を奉献した伝承にちなんで、昭和50年(1975年)に制作されたものだそうです。
古くから馬産地として知られたこの地を象徴する像ですね。

🐴 地名に刻まれた「馬の記憶」
まず注目したいのは「駒木」という地名。
「駒」とは馬を意味し、古くからこの地域が馬と関わりの深い土地であったことを物語っています。

駒木諏訪神社一の鳥居と参道
一の鳥居と神秘的な参道
参道に足を踏み入れると、まず驚くのがその緑豊かな森!
約1万坪という広大な境内は、まるで街の中に現れたオアシスのようです。
鳥居の向こうへ一歩進むたびに、空気が少しずつ澄んでいくような感覚。
木漏れ日と石灯籠に導かれながら進む参道は、まるで別世界へと続いているかのようです。

駒木諏訪神社「鞍掛けの松」
参道脇に建つ「源義家鞍掛之枩の碑」
松は枯れてなくなってしまいましたが、その場所には大正時代に建立された石碑が建っており、当時の風雅な物語を今に伝えています。

🌸 神社と義家を繋ぐ「鞍掛(くらかけ)」の物語
源義家とこの神社の関係は、彼が東北の乱(後三年の役)に向かう途中で戦勝祈願に立ち寄ったのが始まりです。
無事に平定を終えて帰る際、義家は再びこの神社にお参りし、神恩に感謝して愛馬と馬具を奉納しました。
その時、乗っていた馬の鞍(くら)を境内の松に掛けたと伝えられており、それが現在の「鞍掛(神社拝殿の道路を挟んで向かい側の地名)」という地名の由来になったのだそう。

駒木諏訪神社「参道」
「二の鳥居」
大正3年(1914年)に一の鳥居として奉納されたそうで、当初は神明鳥居だったそう。
昭和56年(1981年)に、一の鳥居を新しく建立した際、八幡型に改修して二の鳥居として移築されたそうです。

駒木諏訪神社参道わきの狛犬
参道脇の「出雲構え(いずもがまえ)の狛犬」
躍動感がありすぎて、今にも動き出しそう!
この狛犬は、お尻を高く上げた「出雲構え」という珍しいポーズに加えて、足元に亀がいるという、全国的にもかなりユニークな姿をしています。

駒木諏訪神社「随神門」
「隨神門」
深い緑の参道に現れる立派な随神門。
普通の神社とは違い、随神様がこちら(参道)を向いていない不思議な造り。
門をくぐる時、そっと見守られているような、優しい空気感に包まれます。

平成17年(2005年)に鎮座1200年を記念して建立された諏訪神社の隨神門は、とても独創的。
通常、随神の背後は壁で塞がれていますが、この門は左右三方が開け放たれた独自のデザインになっています(現在は雨風を凌ぐためガラスが入っています)。

駒木諏訪神社「随神門」左大臣と右大臣
全国でも珍しい、向かい合う「随神様の像」
一般的な随神門は、守護神である随神(左大臣・右大臣)が参道に対して正面を向き、邪気が入らないよう見張っています。
しかし、駒木諏訪神社の随神門は、二柱が向かい合う形で配置されています。
これは、参拝者を「お迎えし、お見送りする」という全国的にも極めて珍しい「おもてなし」の形式とされています。

駒木諏訪神社第三鳥居
「三の鳥居」
文政11年(1828年)に建立された八幡鳥居。
その先に広がるのは、心が整う「おすわさまの森」。
木々と石が織りなす静寂の世界へと足を踏み入れると、一歩進むごとに日常の喧騒が遠のいていくような、不思議な心地よさに包まれます。

駒木諏訪神社神門
「神門」
昭和39年(1964年)12月に、第52代古谷金祐宮司の奉納によって建立されました。
一歩くぐれば、そこは木々と祈りに守られた別世界。
静かな時間が流れる境内へと、自然に心が導かれていきます。

駒木諏訪神社拝殿前の狛犬
拝殿前の「狛犬」
実はこれ、長崎平和祈念像で知られる巨匠・北村西望先生が100歳の時に手掛けられた作品だそう。
筋肉の質感や気高い表情がまさに芸術品、、その力強さに圧倒されます。
神社の静謐な空気の中で、ひと際強い輝きを放っていました。

駒木諏訪神社拝殿
駒木諏訪神社拝殿
「拝殿」
神門をくぐってまず目に入るのが、開放的な造りの拝殿です。
板敷きの床ではなく、石敷きの広い空間がそのまま拝礼の場となっており、外と内がゆるやかにつながる独特の佇まいを見せています。

この形式は、信州の諏訪大社 上社本宮の「拝所」を思わせるともいわれ、深い森に包まれた境内の雰囲気と相まって、どこか原初的で厳かな空気を感じさせてくれます。

現在の拝殿は、寛延2年(1749年)の火災で焼失した後、江戸時代後期に再建されたものです。
流山出身の名工、八木の文蔵(やぎのぶんぞう)の手により、弘化3年(1846年)に完成しました。

☘️ 徳川光圀(水戸黄門)も参拝
江戸時代、この地には水戸の名君・徳川光圀(水戸黄門)も足を運んだといいます。
「駒木のおすわさま」の名は遠くまで届き、武蔵国の人々や江戸の商人たちが、それぞれの願いを胸にこの森を訪れました。
拝殿に残る擬宝珠の刻銘は、そんな往時の賑わいを、今にそっと語りかけてくれます。

📜 ご由緒
平安時代の大同2年(807年)、大和国から移住してきた高市皇子の後裔が、信州の諏訪大社から御神霊を勧請して祀ったのが始まりとされています。
御祭神は「建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)」。
風や水の守護神であり、五穀豊穣、商売繁盛、武勇の神として信仰されています。

駒木諏訪神社手水舎
「手水舎」
江戸時代、この一帯は幕府直営の巨大牧場、小金牧の一部でした。
広大な草原に馬を放ち、必要なときに捕らえる「野馬」の文化が息づいていた場所です。

牧場から逃げ出さぬよう、周囲には野馬堀や柵が張り巡らされていましたが、それでも時折、馬たちは柵を越え、神社の境内へと迷い込んできたといいます。
喉を潤すため手水に口を寄せ、踏み込んだその蹄の跡は、今も水盤にわずかな歪みとして残されています。
静かな境内の一角に、かつてこの地を駆けていた馬の気配が、そっと刻まれています。

駒木諏訪神社「義家献馬の像」
「義家献馬(よしいえけんば)の像」
馬にそっと手を添える源義家の姿は、戦の緊張とは対照的な静けさに満ちています。
この像は近代彫刻を代表する北村西望先生による作品で、その穏やかな表現の中に、武将と馬が歩んだ時間が凝縮されているかのようです。

🏹 伝説のヒーロー「源義家(八幡太郎)」ってどんな人?
境内に堂々と立つブロンズ像「義家献馬の像」。
このモデルである源義家(みなもとのよしいえ)は、平安時代を代表するトップスターのような武将です。
後に鎌倉幕府を開いた源頼朝や室町幕府を開いた足利尊氏などの祖先に当たる人物で、河内源氏の棟梁でした。

京都の石清水八幡宮で元服(成人式)をしたことから「八幡太郎」と呼ばれ、武士たちの憧れの的でした。
ただ強いだけでなく、和歌を詠む風雅な心も持っていました(文武両道)。
戦に向かう途中、散る山桜を見て詠んだ歌が今も語り継がれるほど、感受性豊かな人物だったと言われています。
また、朝廷から戦の褒美がもらえなかったとき、なんと私財をなげうって部下たちに褒美を分け与えたという伝説もあります。
そんな情の深さが、多くの武士の心を掴んだ理由かもしれません。

駒木諏訪神社の生け花
駒木諏訪神社「生け花」
🌹 展示スペースの「生け花」
塀に設けられた展示スペースには、たくさんの生け花が。
そこに活けられた花々が、訪れる人の視線をそっと引き留めます。
足を止めてふと覗き込むと、境内の空気と調和するようなやさしい彩りに出会えます。

駒木諏訪神社「梶の葉お神籤掛」
☘️「梶の葉(かじのは)おみくじかけ」
諏訪神社の紋(神紋)、「梶の葉」を模したおみくじかけ。

駒木諏訪神社「梶の葉おみくじ」
梶の葉のおみくじがあったのでひいてみました。
末吉だった…💦

駒木諏訪神社境内社
駒木諏訪神社「境内社」
駒木諏訪神社境内社
「境内社」
境内には小さなお社の境内社がたくさん鎮座しています。
一つ一つお参りしていると、お賽銭の小銭が心もとなくなってきます(;'∀')

駒木諏訪神社「和同開珎」
駐車場で見つけた「和同開珎」のモニュメント
何でここに和同開珎が…、埼玉の聖神社では和銅の採掘地だったから納得だったけど…。
だれか教えて~!

⛩️ 参拝後記
木々に囲まれた境内をあとにするとき、不思議と心が整っていることに気づきます。
ここには、長い時間をかけて積み重ねられてきた祈りと記憶が、静かに息づいています。
ただ参拝するだけでなく、境内をゆっくり歩きながら、その背景にある物語に目を向けてみると、見える景色が変わってきます。
流山の一角に残るこの森で、少しだけ立ち止まり、そんな時間に触れてみてはいかがでしょうか。
流山を訪れた際は、ぜひ一度足を運んでみてください。
2026.04.24 04:29 | comment(0)
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プロフ

関東を中心に御朱印巡りをしている夫婦です。
実際に参拝した神社やお寺の御朱印、アクセス、混雑状況をリアルに紹介しています。

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