【甲斐國一宮 浅間神社】御朱印と参拝ガイド|笛吹市の格式ある一宮へ



甲斐國一宮 浅間神社(かいこくいちのみやあさまじんじゃ)で御朱印をいただきました。
甲斐一宮浅間神社
📋 基本情報
[甲斐國一宮 浅間神社]
所在地:山梨県笛吹市一宮町一ノ宮1684
駐車場:無料駐車場あり
アクセス:JR中央本線「石和温泉駅」または「山梨市駅」からタクシーで約10〜15分、中央自動車道「勝沼IC」から約5分

📝 参拝情報
参拝時間:24時間可能(社務所は 8:30〜17:00 / 季節により変動あり)
拝観料:無料

🖌️ 御朱印の種類と初穂料
・浅間神社(本宮)の御朱印(帳面への直書き対応)
・摂社山宮神社の御朱印(直書き対応)
・月替わりの限定御朱印(カラフルなイラスト入り・書置きのみ)
初穂料:500円
受付時間:8:30 ~ 17:00
受付場所:拝殿の隣の授与所にてご対応いただけます。


山梨県笛吹市にある「甲斐一宮浅間神社」をご紹介します。
歴史好きにも、パワースポット巡りが好きな方にも、とってもおすすめの神社です。
他ではあまり紹介されていない見どころや御朱印情報を詳しくまとめたので、ぜひお出かけの参考にしてくださいね!

甲斐國一宮 浅間神社の通常御朱印
甲斐國一宮 浅間神社の特別御朱印
🖌️ 今回いただいた2種類の御朱印
上は直書きの通常御朱印、下は5月限定の特別御朱印「梅の折枝神事」です。


甲斐國一宮 浅間神社の随神門
💫 参拝者を迎える重厚な「随神門」
境内の入口で参拝者を迎える随神門。
深い木の色合いと大きく張り出した屋根が印象的で、甲斐国一宮としての風格を感じさせます。
ここをくぐると、いよいよ神聖な境内へ。

🏯 随神門の歴史と再建の歩み
江戸時代の安永年間(1772年〜1780年)に造営されたのが始まりとされています。
明治40年(1907年)8月26日、甲府盆地を襲った記録的な集中豪雨により、近くを流れる大石川と京戸川が氾濫し、濁流が直撃したことで当時の随神門は破壊されてしまいました。

門を失った後、氏子や地域の人々の手によって復興が進められ、明治42年(1909年)10月に現在の随神門が再建されました。
門の左右に佇み、邪気の侵入を防ぐ一対の「随神像(武将の姿をした神像)」は、少し遅れて昭和6年(1931年)10月に設置されたものです。

水害からわずか2年で地域の人々によって再建されたという経緯からも、この浅間神社が古くからいかに大切に守られてきたかがうかがえます。


甲斐國一宮 浅間神社の女神の井戸
境内にある「女神の井戸」
境内の古井戸が枯れてしまった際に、新たに採掘された井戸なんだそうです。
ご祭神の木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)にちなんで名付けられた、清らかなパワースポットです。
この井戸から引かれた水で心身を清めると、内側から美しくなれそうな気がします✨
参拝の際はぜひ立ち寄ってみてください!


甲斐國一宮 浅間神社の子持石
🤲 子授け・安産の祈りを受けとめる「子持石」
木々に囲まれた一角に祀られる子持石。
注連縄と紙垂が掛けられた姿から、古くから大切に祈りを寄せられてきた石であることが伝わってきます。
木花開耶姫命を祀る浅間神社らしい、子授け・安産信仰を感じられる境内の見どころです。


甲斐國一宮 浅間神社の歯固めの石納所
👶 赤ちゃんの健やかな成長を願う「歯固めの石納所」
子授け・安産の祈りを集める子持石の近くには、赤ちゃんの健やかな成長を願う歯固めの石納所もあります。
家族の幸せを願う信仰が、境内の小さな一角に息づいています。

🌸 子授け・夫婦円満の信仰を集める「夫婦梅(めおとうめ)」
浅間神社の本殿わきには、「夫婦梅」と呼ばれる珍しい梅の木があります。
なんとこの梅は、ひとつの青い花ヘタから、まるで仲良く寄り添うように二つの実が並んで実る不思議な特徴を持っています。
その姿はまさに、手を取り合う夫婦や、親に抱かれる子どもそのもの。
子授け・安産の神である木花開耶姫命に見守られながら、何世代もの参拝者の願いを吸い上げてきた御神木には、境内でもひときわ温かい空気が流れています。
この「小さな奇跡」が実る様子は、現地で実物を見てこそ、より深い感動を味わえます。
参拝の際はぜひこの「小さな奇跡」をご自身の目でご覧ください。


甲斐國一宮 浅間神社の夫婦梅
🌿 二百年の時を刻む「亀の松」
長く伸びた枝が空を覆うように広がる亀の松。
二百年以上ものあいだ、この場所で参拝者を見守ってきたと思うと、木そのものに宿る静かな力を感じます。
亀の松の前には絵馬掛けが設置されており、その長寿の生命力にあやかって「延命長寿」や「健康祈願」のパワースポットとして信仰されています。

🧾 亀の松の由来
神社の社家(神主の家系)であった古屋蜂城(1764年〜1852年)という人物が、天神社に籠って願掛けをした際、山から松の幼木を持ち帰って境内に植えたものと言い伝えられています。
かつては「鶴の松(つるのまつ)」と呼ばれる松も存在し、2本で「鶴亀」の一対を成していました。
しかし、鶴の松は枯死してしまったため、現在は「亀の松」だけが残っています。


甲斐國一宮 浅間神社の拝殿と御朱印
🏮 甲斐国一宮の風格を伝える「拝殿」
境内の中心に建つ拝殿は、甲斐国一宮浅間神社の歴史と格式を感じさせる重厚な建物です。
現在の拝殿は江戸時代前期の造営と紹介されており、長い年月を経た木の風合いが印象的です。
建築様式は、入母屋唐破風向拝造銅板葺。
大きく構えた屋根と正面の向拝が、参拝者を迎えるにふさわしい堂々とした姿を見せています。
拝殿前に立つと、貞観7年(865年)に現在地へ遷された古社としての由緒と、甲斐国一宮として受け継がれてきた信仰の重みを感じることができます。

🏛️ 珍しい配置の「拝殿」
実はこの神社、参道に対して拝殿が直角を向いている珍しい構造になっています。
これは、かつて神社があった元宮(山宮神社)の方角をまっすぐ向いているからだそう。
歴史のロマンを感じるポイントです。

📜 知ると参拝がもっと深まる!甲斐一宮浅間神社のご由緒
神社を参拝する前にその歴史(ご由緒)を知っておくと、境内の景色がガラリと変わって見えます。
甲斐一宮浅間神社がなぜ作られ、どのように信仰されてきたのか、そのドラマチックなストーリーを3つのポイントでご紹介します。

1.始まりは「富士山の大噴火」を鎮めるため
時は平安時代の貞観7年(865年)。
当時、富士山が命に関わるほどの大噴火(貞観大噴火)を起こしました。
「これは神様の怒りに違いない」と恐れた当時の朝廷(国)が、富士山の神様をお祀りして怒りを鎮めてもらおうと、今の山梨県笛吹市に神様をお迎えしたのが始まりです。
つまり、この神社は富士山のパワーをコントロールするための重要な拠点でした。

2.お祀りされているのは美の女神「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」
御祭神(お祀りされている神様)は、木花開耶姫命です。

・桜のように美しい「美の女神」

・炎の中で無事に出産したという神話から「安産・子授けの神様」

・富士山の噴火を鎮める「火山の神様」

として知られています。
この神様が祀られているからこそ、現代でも強力な縁結びや安産、子宝のご利益があるパワースポットとして全国から多くの参拝者が訪れています。

3.「甲斐国一宮」という最高のステータス
神社名にある「一宮(いちのみや)」とは、その地域(昔の国)でもっとも格が高い神社に与えられる称号です。
甲斐一宮浅間神社は、武田信玄公で有名な「甲斐の国(山梨県)」でNO.1のステータスを持つ神社として、古くから国や名だたる戦国武将たちから特別な尊崇を集めてきました。

社宝にも武田氏との結びつきを感じさせるものがあります。
重要文化財として後奈良天皇御宸翰「般若心経」一軸が伝わり、武田晴信の奉納包紙を伴うとされています。
県指定文化財には武田信玄奉納とされる「国次の太刀」などもあり、甲斐の歴史を背負う神社であることがよく分かります。


甲斐國一宮 浅間神社の両部鳥居
⛩️ 境内の裏参道にひっそりと佇む木造の「両部鳥居(りょうぶとりい)」
国道20号線沿いにある鮮やかな朱色の一の鳥居(大鳥居)や二の鳥居とは異なり、神仏習合の歴史を色濃く残す渋い佇まいが特徴です。
かつては表側の参道入口に建っていたそうです。

👉 「両部(りょうぶ)」が持つ意味
両部鳥居の「両部」とは、密教の精神である「金剛界」と「胎蔵界」(両部曼荼羅)に由来します。
かつて神社と寺院が一体だった「神仏習合」の時代に、主に信仰を集めた「随一神道(吉田神道)」などで好んで用いられた形式です。
山梨県内では、同じく富士信仰の拠点である富士吉田市の北口本宮冨士浅間神社の大鳥居などにもこの両部鳥居の形式が見られます。


🐓 自分の干支に願いを込める「十二支まいり」
拝殿の右手奥に進むと、可愛い十二支の石像がずらりと並んでいます。
自分の生まれ年の「干支」と、その年の「干支」の石像にお参りすると、ご利益があると言われています。
自分の干支の像を見つけて、ぜひ手を合わせてみてくださいね。


⛩️ 参拝後記
甲斐国一宮 浅間神社は、富士山信仰、甲斐国一宮としての格式、武田氏ゆかりの文化財、そして子授けの霊験で知られる夫婦梅が重なり合う、歴史の層が厚い神社です。
境内を歩けば、社殿の重み、御神木のやさしい姿、十二支まいりの親しみやすさが同居していて、古社でありながら今も人々の暮らしに近い場所であることが伝わってきます。

山梨の御朱印巡り、笛吹・勝沼方面の旅、梅の季節の小さな散策先として、ぜひ一度訪れてほしいおすすめの一社です。