大宮山長照寺で御朱印をいただきました。

所在地:福島県耶麻郡猪苗代町大字三ツ和字三城潟982
アクセス: 国道49号線を野口英世記念館から会津若松方面へ進み、看板のある交差点を右折、翁島小学校の門を入った先にあります。
駐車場: 約20台の駐車スペースがあります。

こんな人におすすめ👇
・会津の歴史が好き
・幕末(戊辰戦争)好き
・人物史(野口英世)好き

猪苗代町にある大宮山 長照寺に行ってきました🙏
一見すると静かな禅寺ですが――
👉 会津の歴史と人物が凝縮された寺
かなり“中身が濃い”場所です。


境内は落ち着いた曹洞宗の寺らしい雰囲気。
派手さはないけど
👉 空気がしっかりしてるタイプ
こういう寺、個人的に好きです。


🏯創建は慶長8年=会津の転換期
この寺の創建は
👉 慶長8年(1603年)
つまりこの年――
・徳川家康が征夷大将軍になる
・江戸幕府スタート
まさに時代の大転換期。

🧠ここ重要
会津はこの頃
👉 上杉 → 蒲生 → 加藤 → 会津藩へ
と支配が大きく動いた地域。
そんな中で作られた寺ということは
👉 新しい時代の秩序を作るための寺という見方もできます。

🧬野口英世の菩提寺
この寺で一番有名なのがコレ👇
👉 野口英世の菩提寺
境内には
・両親の墓
・野口英世夫妻の墓
が残っています

🧠ここも面白い
野口英世って
👉 世界で活躍した医学者(1000円札の人)
そのルーツが
👉 この猪苗代の一寺にある
っていうのが熱い。

⚔️戊辰戦争とも間接的に関係
さらにこの地域は
👉 会津戦争(戊辰戦争)の舞台
伝承では
👉 戦後に人々がこの寺に関わった話も残る
つまりこの寺は
👉 会津の「敗北と再生」を見てきた場所
とも言えます。

🙏観音信仰の寺でもある
長照寺は
👉 猪苗代三十三観音の札所
しかも
👉 最後の札所(結願)
巡礼の締めくくりの場所です。

🪨腹籠り観音
ここで面白いのが
👉 「腹籠り観音」
観音像の中に
さらに本尊が納められている構造。
👉 信仰の“重なり”が見える仏像です。

ここは
👉 派手さはないけど“歴史の層が厚い寺”
戦国 → 江戸 → 幕末 → 近代
全部つながってるのが面白い。


直書きでいただいた御朱印。
2023.11.13 01:22 | comment(0)

小平潟天満宮で御朱印をいただきました。

所在地: 福島県耶麻郡猪苗代町中小松西浜1615
アクセス: JR磐越西線 関都駅から車で約5分、猪苗代磐梯高原ICより車で約8分

猪苗代湖の北岸、松林の中に佇む小平潟天満宮🌲
観光地として知られる猪苗代湖ですが、その一角に、静かに時を重ねてきた社があります。


小平潟天満宮は、学問の神様として知られる菅原道真を祀り、大宰府天満宮、北野天満宮と並ぶ日本三大天神(日本三大天満宮)の一つとして数えられる事もあります。

創建は天暦2年(948年)。
祀られているのは、学問の神・菅原道真公です。✨
この地に天神が祀られた由来は、よく知られた伝承によります。

近江の神主・神良種が、道真公の神像を携えて各地を巡る中、猪苗代湖畔でその像が突如として動かなくなった――。
道真公の神像が足を止めたこの地が須磨の景色に似ていたこともあり、ここを鎮座の地と定めたといいます。

須磨は、現在の兵庫県神戸市にあたる地で、菅原道真公が太宰府へ向かう途中に立ち寄ったとされる場所でした。
都を追われた道真公にとって、海を望む須磨の地は、ひとときの安らぎの場所でもありました。
そして――
猪苗代湖畔のこの景色が、その須磨の風景にどこか似ていたといいます🌊

湖を望む開けた地形、水辺に寄り添うような松林🌲

遠く都を離れた地でありながら、どこか須磨を思わせる風景。

神像が動かなくなったのも単なる偶然ではなく、道真公ゆかりの風景と重なる場所だったからこそここに留まったのではないか――

そう考えると、この伝承にも一層の意味が感じられます。

ただの「似ている景色」ではなく、都を追われた道真公の記憶とこの地の風景が重なった場所。

だからこそ、ここが鎮座の地となったのかもしれません⛩️

神の意思が土地に刻まれた――
そんな印象を受ける由緒です。

こうして創建された天満宮は、地名までも「小出方」から「小平潟」へと変えたと伝わります。


やがて時代は下り、戦国の世へ。

この猪苗代湖を含む会津一帯を治めていたのが、会津の戦国大名・葦名氏⚔️

湖は交通と生業を支える重要な拠点であり、その湖畔にあるこの天満宮もまた、領内の安定を祈る場として存在していたのでしょう。

戦の記録こそ多くは残らないものの、武将たちがこの地で手を合わせたであろう情景が
自然と浮かんできます。


さらに江戸時代になると、会津藩主・保科正之の保護を受けて社殿は整えられます。
戦国の祈りから、藩政の守りへ――。

時代を越えて受け継がれてきた信仰が、この場所には静かに息づいています。

実際に訪れてみると、華やかさよりも「静けさ」が印象に残ります。

湖の気配、松林の音、そして人の少ない参道🌊

長い歴史の中で積み重ねられてきた祈りが、そのまま空気として残っているようでした。

御朱印をいただき、境内を後にする頃には、この地に神が留まり、戦国の武将が祈り、
人々の願いが積み重なってきた時間に触れた――
そんな感覚が、静かに心に残ります。


いただいた御朱印。
2023.11.13 01:18 | comment(0)

土津神社(はにつじんじゃ)で御朱印をいただきました。

所在地:福島県耶麻郡猪苗代町字見禰山3
アクセス:磐越自動車道「猪苗代磐梯高原IC」から約10分無料駐車場があり。JR磐越西線猪苗代駅からタクシーで約10分。

福島・猪苗代にある土津神社。
一見すると静かな神社だが、ここはただの神社ではない。

ここに祀られているのは、会津藩祖・保科正之。
徳川将軍家の血を引きながら、それを“利用しなかった”異端の名君である。


■徳川の血を持ちながら、徳川を名乗らなかった理由

保科正之は、二代将軍・徳川秀忠の子。
つまり“将軍の血筋”という、絶対的な権力のカードを持っていた人物だ。

だが彼は、そのカードを切らなかった。

理由は単純で、そして異常なほど重い。

👉 自分を育ててくれた「保科家への恩」を捨てなかったから。

幕府から松平姓を名乗ることを勧められても、彼は生涯「保科」を名乗り続けた。

この一点だけでも、すでに“戦国マインドの武将”とは別格の倫理観を持っている。


■なぜ猪苗代に眠るのか?そこには戦略がある

正之は死の直前、自ら墓所の場所を指定した。

それが――猪苗代・見祢山。

ここは、若松城(鶴ヶ城)から見て鬼門(北東)にあたる場所だった。

つまり彼はこう考えた。

👉 「死後もなお、会津を守る」

これは単なる信仰ではなく、“地政学+陰陽思想”を組み合わせた防衛思想だ。

戦国武将が城で守るなら、正之は「霊的な要塞」で守ろうとした。

この発想、かなり異質で面白い。

■土津神社=“東北の日光”と呼ばれた理由

創建は1675年。

当初の社殿は、あまりに豪華で
「東北の日光」とまで呼ばれた。

つまりこれは、単なる墓ではない。

👉 「神格化された藩祖」
👉 「政治理念の象徴」

徳川家康が東照宮で神になったように、保科正之もまた“会津の守護神”として祀られた。


■戊辰戦争で焼かれた理由がエグい

だが、この神社は一度消える。

原因は――戊辰戦争。

会津戦争の中で、土津神社は焼失した。

これ、単なる戦火ではない。

👉 「会津の精神そのもの」を破壊する行為

なぜなら、会津藩は正之が遺した「会津家訓十五箇条」を絶対視していたから。

つまり、

神社=精神の象徴

それを焼く=思想の否定

ここまで考えると、かなり重い歴史になる。


■この神社は“観光地”ではなく「思想の墓」

奥之院へ続く杉並木を歩くとわかる。

ここは観光地ではない。

👉 「思想に触れる場所」だ。

・恩を捨てない生き方
・死後も藩を守る覚悟
・義を貫いた政治

それらすべてが、この山に埋まっている。


■御朱印以上に“持ち帰るもの”

御朱印もいい。風景も美しい。

でも、この神社で本当に持ち帰るべきものは一つ。

👉 「義とは何か」

戦国武将が“勝つための義”を語るなら、保科正之は“守るための義”を体現した。

だからこそ――

この神社は、静かで、重い。
2023.11.13 01:14 | comment(0)
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プロフ

関東を中心に御朱印巡りをしている夫婦です。
実際に参拝した神社やお寺の御朱印、アクセス、混雑状況をリアルに紹介しています。

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