本土寺の御朱印・御首題|あじさい寺の御朱印と受付時間・見どころを現地レポ【千葉県松戸市】

あじさい寺で歴史散歩と御朱印巡り|仁王様の足が想像以上だった件


長谷山 本土寺でご首題と御朱印をいただきました。
本土寺
📋 基本情報
[長谷山 本土寺(ちょうこくざん ほんどじ)]
所在地:千葉県松戸市平賀63
駐車場:あり
アクセス:JR常磐線「北小金駅」北口から徒歩で約10分~15分
北小金駅から本土寺までは参道を歩いて向かうルートになります。
紫陽花の時期は人の流れも多く、写真を撮りながら歩く方もいるため、時間には少し余裕を見ておくとよいです。

車で向かう場合の注意点
本土寺の無料駐車場は収容台数が少ないため、参道両脇の有料駐車場や周辺の一時預かり駐車場の利用をおすすめします。
紫陽花シーズンは渋滞や満車の可能性が高いため、電車での参拝がおすすめです。
※5月下旬から6月末までの紫陽花シーズンの土日は、北小金駅横のJR跨線橋周辺を中心に大渋滞になるそうです。

📝 参拝情報
参拝時間
通常:5:00〜17:00(閉門)
有料参拝期間(6月・11月など):9:00〜16:30(最終受付 16:00)
参拝料
大人(中学生以上):500円
小学生以下:無料
障害者:300円(手帳提示)
※花の開花状況や紅葉の見頃に合わせた期間以外は、基本的に無料で参拝できます。
見頃の時期
花菖蒲:6月上旬
あじさい:6月中旬〜下旬
紅葉:11月下旬〜12月上旬

🖌️ 御朱印の種類と志納料
初穂料:500円
季節限定御朱印:500円(あじさい・花菖蒲・紅葉などの図柄が入った限定デザインがあります)
御朱印帳:あり(紅葉デザインなど 1,000円)
日蓮宗の寺院であるため、通常の御朱印のほかに、お題目帳(御首題帳)をお持ちの方は、お題目(南無妙法蓮華経)を記した「御首題」をいただくことも可能です。
受付時間:9:00〜16:00
授与場所:境内奥にある寺務所でご対応いただけます。

本土寺の御朱印と御首題の違い
本土寺でいただけるものには、御朱印と御首題(ごしゅだい)があります。
御朱印は、寺社を参拝した証としていただくものです。
一方、御首題は日蓮宗のお寺でいただけるもので、中央に「南無妙法蓮華経」のお題目が書かれるのが大きな特徴です。
日蓮宗寺院では、御首題は御朱印とは区別されることがあります。
本土寺では、御朱印として「南無日像菩薩」と「昇竜」、御首題として「南無妙法蓮華経」をいただけます。

本土寺御朱印
「本土寺のご首題」

本土寺御朱印帳
「紫陽花と金の箔押しの三つ葉葵紋がデザインされたお題目帳」
お題目をお書入れいただき、1.500円でした。

本土寺御朱印
「直書きでいただいた本土寺の通常御朱印」
こちらは宗派関係なく、一般の御朱印帳(納経帳)にお書入れいただけます。

千葉県松戸市にある 本土寺。
「あじさい寺」として有名ですが、実際に歩いてみると、そこにあるのは花だけではありません。

赤門から始まり、仁王像の迫力、静かに佇む塔頭、歴史を刻む門や堂宇――
境内を一歩進むごとに、鎌倉時代から続く時間の積み重ねを感じることができます。

さらに面白いのは、ただ古いだけではなく、時代ごとに形を変えながら“今も生きているお寺”だということ。

今回は御朱印巡りをしながら、そんな本土寺の見どころを、ちょっとしたエピソードや歴史と一緒にじっくり歩いてみました。

――ただの観光では終わらない、本土寺の魅力をお届けします。

本土寺仁王門
立派な朱塗りの仁王門――通称「赤門」
この門、ただの入口だと思ったらちょっともったいない。
よく見ると左右には仁王像が安置されていて、まさに“結界”。
ここをくぐる瞬間、日常から少し離れて、歴史の中に足を踏み入れるような感覚になります。

本土寺仁王門
掲げられた「長谷山」の扁額
実は本土寺の正式な山号で、鎌倉時代の開山以来の由緒を今に伝えています。
本土寺は建治3年(1277年)、日蓮宗の僧・日朗上人によって開かれたとされ、あの 日蓮 の教えを受け継ぐ由緒あるお寺なんです。

ちなみにこの赤門、見た目の華やかさとは裏腹に、どこか“守り”の雰囲気が強いのが特徴。
実際、江戸時代には地域の信仰の中心として、人々の心の拠り所になっていました。
今でいう「パワースポット」の先駆けみたいな存在ですね。

ちょっと面白い話をひとつ。
本土寺は「あじさい寺」として有名ですが、実は紅葉もかなりの名所。
つまり――
「梅雨も秋も強い、二刀流の寺」
…これはなかなか珍しいタイプです。

御朱印をいただく前に、この門で一呼吸。
写真を撮るのもいいですが、ぜひ一度立ち止まって見上げてみてください。
木々に囲まれた赤門が、まるで「ようこそ」と迎えてくれているように感じられます。
この一歩目の体験が、その後の参拝や御朱印巡りをぐっと特別なものにしてくれますよ。

本土寺仁王像
本土寺仁王像
💪 迫力ある「金剛力士像」
仁王門をくぐると、まず出迎えてくれるのが迫力満点の仁王像。
ガラス越しでも十分に伝わるこの威圧感、
「これは悪いこと考えてたら即バレるやつだな…」と、思わず背筋が伸びます。

この仁王様、正式には「金剛力士像」といい、仏教世界への入口を守る守護神。
口を開けた阿形(あぎょう)と、口を閉じた吽形(うんぎょう)の二体で一対になっていて、「あ・うん」で宇宙の始まりと終わりを表しているんです。
つまり――
ここを通る時点で、すでに“結界チェック”は完了しているわけですね。

そして今回、ちょっと珍しい体験ができました。
なんと仁王像の足元にある小さな扉が開いていて、普段は見えない“足元”を間近で拝見!

これがもう、とにかくデカい。
いや本当にデカい。

写真で見ると分かるんですが、指一本一本がまるで木の根っこみたいに力強くて、
「この足で踏み込まれたら煩悩ごと粉砕されそう…」というレベル。
思わず自分の足と見比べてしまいましたが、完全に別カテゴリの存在でした(笑)

実は仁王像の足には、しっかりと地面を踏みしめることで「邪気を封じる」という意味があります。
つまりこの巨大な足は、見た目のインパクトだけでなく――
参拝者を守る“見えないバリア”の象徴でもあるんですね。

鎌倉時代に創建された 本土寺 は、長い歴史の中で多くの人々の信仰を集めてきました。
こうした仁王像もまた、時代を超えて「守る」という役目を果たし続けている存在です。

御朱印をいただく前に、この仁王様の足元にもぜひ注目してみてください。
もし運よく扉が開いていたら――それはちょっとした“ご利益チャンス”かもしれません。

本土寺塔頭「佛持院」
本土寺の境内にある塔頭「佛持院」
赤門をくぐって少し進むと、ふと現れる落ち着いた佇まいのお堂。
ここが本土寺の塔頭、 佛持院 です。

正直に言うと、最初は「ちょっと立派なお堂だな」くらいに思って通り過ぎそうになりました。
でも、これがなかなかの“歴史の生き残り”。

佛持院は応永元年(1394年)、日覚上人によって開かれた古刹。
そしてかつて本土寺には「4院6坊」と呼ばれる多くの塔頭が立ち並び、かなりの規模を誇っていたそうです。

ところが時代の流れとともにその多くは姿を消し――
現在まで残ったのは、この佛持院ただ一つ。

そう思って改めて見ると、この静かな空間がちょっと違って見えてきます。
観光客で賑わう境内の中にあって、ここだけ時間の流れがゆっくりしているような、不思議な感覚。

戦国時代好きとしては、こういう「生き残り」ってグッときませんか?
いわば佛持院は、本土寺の“最後の砦”。
かつての賑わいを知る唯一の存在が、今も静かにそこにあるわけです。

御朱印巡りで訪れると、どうしてもメインのお堂に目が行きがちですが、
こういう脇にある歴史スポットにこそ“通な楽しみ方”が隠れています。

ちょっと足を止めて、かつての「4院6坊」に思いを馳せてみる――
そんな時間も、本土寺の魅力のひとつかもしれません。

💡 塔頭(たっちゅう)とは?
大寺院の敷地内にある個別の坊や脇寺のことです。
もともとは高僧の徳を慕い、墓塔を守るために建てられた寮舎が始まり。
「塔」は高僧の墓を指し、その「頭(ほとり=近く)」に位置することから「塔頭」と名付けられました。

本土寺境内
🌄 清々しさが感じられる「境内」
境内を進み、ふと本堂の方へ目を向けると広がるこの景色。
背後に高い建物もなく、空と緑に包まれたその姿は、どこか時間が止まったような静けさを感じさせてくれます。

こういう場所に立つと、つい思ってしまうんです。
「これ、昔の人もほぼ同じ景色を見てたんじゃないか?」と。

もちろん細かい建物の配置や木々は変わっているはずですが、
少なくとも“空の広さ”や“山の気配”は、鎌倉時代や室町時代と大きくは変わっていないはず。

本土寺 は1277年創建。
つまりこの場所には、約750年の時間が積み重なっています。
戦国好きとしては、ここでちょっと妄想が捗ります。
もしかすると戦国時代、武士や僧たちも同じようにこの本堂を見上げながら、戦の無事や家の繁栄を祈っていたのかもしれません。

そして現代。
スマホ片手に写真を撮っている自分が、その延長線上にいると思うと、なんだか不思議な気分になります。

派手な見どころではないかもしれませんが、この“変わらない景色”こそが、本土寺の一番の魅力かもしれません。
ぜひ一度立ち止まって、何百年も前の人たちと同じ目線で、この本堂を眺めてみてください。

本土寺「五重塔」
🍁「五重塔」
境内を歩いていると、ひときわ目を引く朱塗りの五重塔。
思わず「おお…」と声が出てしまう存在感です。

この五重塔、実は見た目の美しさだけじゃありません。
平成三年(1991年)、日像 菩薩の六百五十遠忌を記念して建立された比較的新しい建物なんです。

高さは約18メートル。
下から見上げると、層ごとに張り出した屋根が重なり合って、まるで空に吸い込まれていくような感覚になります。

そして驚きなのが中身。
この塔の内部には、なんとインドのネール首相から贈られた「真仏舎利」が納められているとのこと。
つまりこれは――ただの記念塔ではなく、「仏教的にもかなり特別な存在」なんです。

さらに内部には千体仏も祀られているそうで、外からは想像できないほど“中身が濃い”。
例えるなら、見た目はクールなのに中身は超パワフルな武将タイプですね(笑)

本土寺 の歴史は鎌倉時代に始まりますが、この五重塔のように現代になっても新たな信仰の形が加わり続けています。

古さと新しさが同居しているのも、このお寺の面白いところ。
その中に納められた“とてつもないもの”に思いを馳せると、ただの景色が一気に特別なものに変わります。

本土寺「鐘楼」
🔔「鐘楼」
五重塔のすぐ隣に、ひっそりと佇む鐘楼。
派手さはないものの、どこか落ち着いた存在感があって、思わず足を止めてしまいます。

こういう配置を見ると、ちょっと面白いことに気づきます。
視線を上げれば空へ伸びる五重塔、そしてその隣には静かに時を刻む鐘楼――
まるで「動」と「静」が並んでいるような絶妙なバランスです。

そしてこの鐘楼、見た目以上に“中身がすごい”。
梵鐘には建治四年(1278年)の鋳造銘があり、なんと県内で二番目に古い鐘とされています。

……いや、本土寺すごくないですか?
創建(1277年)のほぼ直後に作られた鐘が、今も伝わっているわけです。

さらにこの梵鐘、昭和52年(1977年)には国の重要文化財に指定。
現在は宝物殿に大切に保管されているため、ここにあるのは実物ではありませんが――
むしろそれだけ“本物が貴重すぎる”ということ。

本土寺 の境内は、こうして一見控えめな場所にも、とんでもない歴史が詰まっています。
五重塔の迫力を味わったあとに、この鐘楼で一息つく。
そんな流れもおすすめです。

本土寺「本堂」
🏯「本堂」
境内の中心に堂々と構える本堂。
近くまで来ると、その重厚な造りと落ち着いた雰囲気に、自然と背筋が伸びます。

この本堂、実はなかなかドラマのある建物です。
建立されたのは慶安四年(1651年)。
小金城主一族に連なる恵了院日修が、亡き娘の菩提を弔うために造立したと伝えられています。
つまりこの建物、もともとは“祈りの結晶”、一人の父の想いから始まっているんです。
込められた“祈りの歴史”を感じると、参拝の時間がぐっと深いものになります。

さらに面白いのが、その後の変遷。
もともとは祖師堂として建てられたものが、明治15年の宗祖六百遠忌の際に現在の場所へ移され、本堂へと役割を変えます。
そして昭和52年、宗祖七百遠忌のタイミングで大きく拡張され、現在の姿になりました。

こうして見ると――
この本堂、ただ“古い建物”ではなく、
「時代ごとに役割を変えながら生き続けてきた存在」なんです。

本土寺 の歴史は鎌倉時代から続いていますが、その中でもこの本堂は「人の想い」と「時代の節目」を何度も受け止めてきた場所。
戦国好き的に言うなら、一度きりの役目で終わるのではなく、何度も“再編成”されながら最前線に立ち続ける城みたいな存在ですね。

本土寺「秋山夫人の墓」
🥀 徳川家康の側室「秋山夫人の墓」
本堂脇に、徳川家康の側室・秋山夫人(下山殿)の墓所があります。
色鮮やかな花々に囲まれたこの場所には、戦国時代を懸命に生きた一人の女性の物語が眠っています。

🌸 歴史の余韻を感じる場所――秋山夫人の物語
彼女は、武田信玄に仕えた名門・秋山氏の血を引き、激動の戦国時代を歩みました。

武田家の家臣・秋山虎康の娘として生まれた彼女は、武田一門である穴山信君の養女となり、後に徳川家康の側室となりました。

武田家の滅亡、そして本能寺の変という激動の中、彼女は家康との間に五男・万千代(武田信吉)を産みます。
この誕生は、一度途絶えかけた名門「武田」の名跡を未来へ繋ぐという、大きな役割を担うものでした。
その後、武田の名跡を継いだ信吉は、天正18年(1590年)に徳川家康の関東移封に従って下総国小金城3万石の城主となりました。
天正19年(1591年)10月6日、秋山夫人はそれを見届けたかのように24歳の若さで亡くなったそうです。

本土寺の門前に葬られていましたが、死後93年を経て、甥にあたる水戸藩主・徳川光圀(水戸黄門)の手によって現在の立派な墓石が建てられました。

御朱印巡りや花鑑賞の合間に、ぜひこの場所へ立ち寄ってみてください。
そこには、教科書には載らない、一人の女性が繋いだ歴史の息吹が今も静かに流れています。

本土寺朗師門
「朗師門(ろうしもん)」
菖蒲池から妙朗堂へ向かう途中、ひっそりと現れるこの趣ある門。
思わず通り過ぎてしまいそうですが、実はここ――かなり“渋い名スポット”です。

正式名称は「開山門(かいざんもん)」。
しかし地元では「朗師門」という名前で親しまれています。

この通称の由来がまた面白い。
本土寺二代目住職・日伝は、師である 日朗上人を深く尊敬しており、
「この門は師匠が出入りする時以外は決して開けない」
――そんなエピソードが伝えられています。

いやもう、忠誠心がガチすぎませんか(笑)
戦国で言えば、「主君専用の門」みたいなもの。
普通は防御や格式のための門ですが、ここは完全に“敬意の象徴”として存在していたわけです。

さらに注目したいのが、さりげなく使われている丸柱。
なんと延慶3年(1310年)のものとされ、本土寺の中でも最古クラスの建築材。

つまりこの門――
見た目は落ち着いていますが、700年以上前の空気をそのまま残している場所なんです。
本土寺の境内には華やかな見どころも多いですが、こういう“静かにヤバい歴史スポット”を見つけるのも醍醐味のひとつです。

長谷山 本土寺「妙朗堂」
「妙朗堂(みょうろうどう)」
境内の奥、緑に包まれるように静かに佇むお堂。
ここが妙朗堂――本土寺の中でも、どこか“やさしい空気”を感じる場所です。

祀られているのは、日朗上人の母・妙朗尼(みょうろうに)。
本土寺を開いた人物を支えた存在であり、「母菩薩」とも称される女性です。

戦国や歴史の話というと、どうしても武将や僧に目が行きがちですが、その背景には必ず“支えた人”がいるんですよね。

妙朗尼は、安産や子育ての守護として信仰を集めており、この場所に立つと、どこか包み込まれるような穏やかさがあります。

建物自体は大正末期に建立され、昭和28年に現在地へ移築。
銅板葺きの屋根が落ち着いた光を放ち、派手さはないものの、長い時間を静かに見守ってきた風格が感じられます。

そしてこの妙朗堂、実は“季節イベントの主役級”。
6月下旬になると、周囲があじさいで埋め尽くされ、一気に華やかな空間へと変わります。

静かな母の祈りの場が、色とりどりの花に囲まれる――
このギャップがまたいいんです。

本土寺 を訪れたら、ぜひこの妙朗堂にも足を運んでみてください。
派手さはないけれど、じんわりと心に残る、そんな場所です。

長谷山 本土寺「瑞鳳門」
長谷山 本土寺「瑞鳳門」
「瑞鳳門(ずいほうもん)」
境内を歩いていると、ふいに現れるこの重厚な木造の門。
思わず足を止めて、「ここ、いいな…」と感じる人も多いはずです。

この門は文政4年(1821年)建立。
つまり、すでに200年以上この場所に時を刻んできた存在です。

近くで見るとわかるんですが、木の色合いや質感がとにかく渋い。
新品には絶対出せない“時間の重み”が、そのまま門の雰囲気になっています。

もともとは「旧輪蔵院」の門で、かつては像師堂の前に建っていたもの。
時代の流れとともに現在の場所へ移築され、今もこうして参拝者を迎えています。

こういう移築された建物って、ちょっとロマンありませんか?
いわば“場所を変えても役目を果たし続ける古参メンバー”。
戦国でいうと、主君が変わっても最前線に立ち続ける歴戦の武将みたいな存在です。

そしてこの門、実は季節になると一気に主役級に躍り出ます。
6月のあじさいシーズンには、門の向こうに色とりどりの花が広がり、まさに“額縁構図”の絶景に。

本土寺 は「あじさい寺」として有名ですが、その魅力を一番“写真映え”する形で切り取れるのが、この門かもしれません。
通り抜けるだけではもったいない場所、ぜひ一度立ち止まって、この門越しの景色を楽しんでみてください。

長谷山 本土寺「赤門」
仁王門だけじゃない!知られざる「赤門」
本土寺の「赤門」といえばほとんど(全員かも)の人が「仁王門」を思い浮かべるはずです。
しかし、寺務所の近くにはこんなに立派な赤門が建っています。
歴史やその詳細は不明ですが、塗装が少し剥がれた柱や、使い込まれた木の質感を見ると、長い時間、多くの参拝者を見守ってきたことが伝わってきます。
こういう門にこそ、本土寺の“リアルな歴史”が詰まっているのかもしれません。

⛩️ 参拝後記
本土寺を歩いてみて感じたのは、「ここはただの観光地じゃない」ということでした。

仁王門の迫力、歴史ある建物、静かに残る塔頭、そして戦国の記憶を伝える史跡――
それぞれがバラバラに存在しているのではなく、すべてが繋がって“今の本土寺”を形作っています。

そしてその中を歩く自分もまた、ほんの一瞬ですがその歴史の流れの中にいる。
そう思える場所って、実はなかなかありません。

御朱印をいただくという目的があってもいいし、季節の花を楽しむのももちろんいい。
でももし少しだけ時間に余裕があれば、ぜひ立ち止まってみてください。
何気なく通り過ぎそうな門や建物の中に、思わず誰かに話したくなるような“物語”が隠れています。

そんな発見があるからこそ、また訪れたくなる――
それが本土寺という場所なのかもしれません。
2026.04.25 17:40 | comment(0)

駒木諏訪神社の御朱印|源義家ゆかりの神馬伝説と緑の参道を現地レポ【千葉県流山市】

駒木諏訪神社(こまきすわじんじゃ)で御朱印をいただきました。
駒木諏訪神社
📋 基本情報
[駒木諏訪神社]
所在地:千葉県流山市駒木655
駐車場:あり
アクセス:東武アーバンパークライン「豊四季駅」より徒歩約10分

📝 参拝情報
開門時間:午前5時30分~午後5時00分
社務所受付:午前9時00分~午後5時00分(祈祷や御朱印など)

🖌️ 御朱印の種類と初穂料
・通常御朱印のみの頒布となります。
初穂料:500円
授与場所:拝殿に向かって左手にある社務所にてご対応いただけます。
受付時間:午前9時00分〜午後4時00分
※午後3時以降は「書き置き」での授与となります。

流山の住宅地の中に、ひっそりと広がる鎮守の森。
駒木諏訪神社は、一見すると静かな神社ですが、その背後には壮大な歴史が隠れています。
源義家の伝承、江戸幕府の小金牧、そして人と馬が関わってきた長い時間――
この場所は、そうした記憶が幾重にも重なった“物語の舞台”でもあります。
今回は、この神社の歴史と魅力をご紹介します。

駒木諏訪神社「御朱印」
「直書きでいただいた御朱印」

駒木諏訪神社「神馬」
一の鳥居の手前に建つ「神馬(しんめ)」の像
参道の入り口で立派な神馬の像が出迎えてくれます。
この像は900年前、源義家が馬を奉献した伝承にちなんで、昭和50年(1975年)に制作されたものだそうです。
古くから馬産地として知られたこの地を象徴する像ですね。

🐴 地名に刻まれた「馬の記憶」
まず注目したいのは「駒木」という地名。
「駒」とは馬を意味し、古くからこの地域が馬と関わりの深い土地であったことを物語っています。

駒木諏訪神社一の鳥居と参道
一の鳥居と神秘的な参道
参道に足を踏み入れると、まず驚くのがその緑豊かな森!
約1万坪という広大な境内は、まるで街の中に現れたオアシスのようです。
鳥居の向こうへ一歩進むたびに、空気が少しずつ澄んでいくような感覚。
木漏れ日と石灯籠に導かれながら進む参道は、まるで別世界へと続いているかのようです。

駒木諏訪神社「鞍掛けの松」
参道脇に建つ「源義家鞍掛之枩の碑」
松は枯れてなくなってしまいましたが、その場所には大正時代に建立された石碑が建っており、当時の風雅な物語を今に伝えています。

🌸 神社と義家を繋ぐ「鞍掛(くらかけ)」の物語
源義家とこの神社の関係は、彼が東北の乱(後三年の役)に向かう途中で戦勝祈願に立ち寄ったのが始まりです。
無事に平定を終えて帰る際、義家は再びこの神社にお参りし、神恩に感謝して愛馬と馬具を奉納しました。
その時、乗っていた馬の鞍(くら)を境内の松に掛けたと伝えられており、それが現在の「鞍掛(神社拝殿の道路を挟んで向かい側の地名)」という地名の由来になったのだそう。

駒木諏訪神社「参道」
「二の鳥居」
大正3年(1914年)に一の鳥居として奉納されたそうで、当初は神明鳥居だったそう。
昭和56年(1981年)に、一の鳥居を新しく建立した際、八幡型に改修して二の鳥居として移築されたそうです。

駒木諏訪神社参道わきの狛犬
参道脇の「出雲構え(いずもがまえ)の狛犬」
躍動感がありすぎて、今にも動き出しそう!
この狛犬は、お尻を高く上げた「出雲構え」という珍しいポーズに加えて、足元に亀がいるという、全国的にもかなりユニークな姿をしています。

駒木諏訪神社「随神門」
「隨神門」
深い緑の参道に現れる立派な随神門。
普通の神社とは違い、随神様がこちら(参道)を向いていない不思議な造り。
門をくぐる時、そっと見守られているような、優しい空気感に包まれます。

平成17年(2005年)に鎮座1200年を記念して建立された諏訪神社の隨神門は、とても独創的。
通常、随神の背後は壁で塞がれていますが、この門は左右三方が開け放たれた独自のデザインになっています(現在は雨風を凌ぐためガラスが入っています)。

駒木諏訪神社「随神門」左大臣と右大臣
全国でも珍しい、向かい合う「随神様の像」
一般的な随神門は、守護神である随神(左大臣・右大臣)が参道に対して正面を向き、邪気が入らないよう見張っています。
しかし、駒木諏訪神社の随神門は、二柱が向かい合う形で配置されています。
これは、参拝者を「お迎えし、お見送りする」という全国的にも極めて珍しい「おもてなし」の形式とされています。

駒木諏訪神社第三鳥居
「三の鳥居」
文政11年(1828年)に建立された八幡鳥居。
その先に広がるのは、心が整う「おすわさまの森」。
木々と石が織りなす静寂の世界へと足を踏み入れると、一歩進むごとに日常の喧騒が遠のいていくような、不思議な心地よさに包まれます。

駒木諏訪神社神門
「神門」
昭和39年(1964年)12月に、第52代古谷金祐宮司の奉納によって建立されました。
一歩くぐれば、そこは木々と祈りに守られた別世界。
静かな時間が流れる境内へと、自然に心が導かれていきます。

駒木諏訪神社拝殿前の狛犬
拝殿前の「狛犬」
実はこれ、長崎平和祈念像で知られる巨匠・北村西望先生が100歳の時に手掛けられた作品だそう。
筋肉の質感や気高い表情がまさに芸術品、、その力強さに圧倒されます。
神社の静謐な空気の中で、ひと際強い輝きを放っていました。

駒木諏訪神社拝殿
駒木諏訪神社拝殿
「拝殿」
神門をくぐってまず目に入るのが、開放的な造りの拝殿です。
板敷きの床ではなく、石敷きの広い空間がそのまま拝礼の場となっており、外と内がゆるやかにつながる独特の佇まいを見せています。

この形式は、信州の諏訪大社 上社本宮の「拝所」を思わせるともいわれ、深い森に包まれた境内の雰囲気と相まって、どこか原初的で厳かな空気を感じさせてくれます。

現在の拝殿は、寛延2年(1749年)の火災で焼失した後、江戸時代後期に再建されたものです。
流山出身の名工、八木の文蔵(やぎのぶんぞう)の手により、弘化3年(1846年)に完成しました。

☘️ 徳川光圀(水戸黄門)も参拝
江戸時代、この地には水戸の名君・徳川光圀(水戸黄門)も足を運んだといいます。
「駒木のおすわさま」の名は遠くまで届き、武蔵国の人々や江戸の商人たちが、それぞれの願いを胸にこの森を訪れました。
拝殿に残る擬宝珠の刻銘は、そんな往時の賑わいを、今にそっと語りかけてくれます。

📜 ご由緒
平安時代の大同2年(807年)、大和国から移住してきた高市皇子の後裔が、信州の諏訪大社から御神霊を勧請して祀ったのが始まりとされています。
御祭神は「建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)」。
風や水の守護神であり、五穀豊穣、商売繁盛、武勇の神として信仰されています。

駒木諏訪神社手水舎
「手水舎」
江戸時代、この一帯は幕府直営の巨大牧場、小金牧の一部でした。
広大な草原に馬を放ち、必要なときに捕らえる「野馬」の文化が息づいていた場所です。

牧場から逃げ出さぬよう、周囲には野馬堀や柵が張り巡らされていましたが、それでも時折、馬たちは柵を越え、神社の境内へと迷い込んできたといいます。
喉を潤すため手水に口を寄せ、踏み込んだその蹄の跡は、今も水盤にわずかな歪みとして残されています。
静かな境内の一角に、かつてこの地を駆けていた馬の気配が、そっと刻まれています。

駒木諏訪神社「義家献馬の像」
「義家献馬(よしいえけんば)の像」
馬にそっと手を添える源義家の姿は、戦の緊張とは対照的な静けさに満ちています。
この像は近代彫刻を代表する北村西望先生による作品で、その穏やかな表現の中に、武将と馬が歩んだ時間が凝縮されているかのようです。

🏹 伝説のヒーロー「源義家(八幡太郎)」ってどんな人?
境内に堂々と立つブロンズ像「義家献馬の像」。
このモデルである源義家(みなもとのよしいえ)は、平安時代を代表するトップスターのような武将です。
後に鎌倉幕府を開いた源頼朝や室町幕府を開いた足利尊氏などの祖先に当たる人物で、河内源氏の棟梁でした。

京都の石清水八幡宮で元服(成人式)をしたことから「八幡太郎」と呼ばれ、武士たちの憧れの的でした。
ただ強いだけでなく、和歌を詠む風雅な心も持っていました(文武両道)。
戦に向かう途中、散る山桜を見て詠んだ歌が今も語り継がれるほど、感受性豊かな人物だったと言われています。
また、朝廷から戦の褒美がもらえなかったとき、なんと私財をなげうって部下たちに褒美を分け与えたという伝説もあります。
そんな情の深さが、多くの武士の心を掴んだ理由かもしれません。

駒木諏訪神社の生け花
駒木諏訪神社「生け花」
🌹 展示スペースの「生け花」
塀に設けられた展示スペースには、たくさんの生け花が。
そこに活けられた花々が、訪れる人の視線をそっと引き留めます。
足を止めてふと覗き込むと、境内の空気と調和するようなやさしい彩りに出会えます。

駒木諏訪神社「梶の葉お神籤掛」
☘️「梶の葉(かじのは)おみくじかけ」
諏訪神社の紋(神紋)、「梶の葉」を模したおみくじかけ。

駒木諏訪神社「梶の葉おみくじ」
梶の葉のおみくじがあったのでひいてみました。
末吉だった…💦

駒木諏訪神社境内社
駒木諏訪神社「境内社」
駒木諏訪神社境内社
「境内社」
境内には小さなお社の境内社がたくさん鎮座しています。
一つ一つお参りしていると、お賽銭の小銭が心もとなくなってきます(;'∀')

駒木諏訪神社「和同開珎」
駐車場で見つけた「和同開珎」のモニュメント
何でここに和同開珎が…、埼玉の聖神社では和銅の採掘地だったから納得だったけど…。
だれか教えて~!

⛩️ 参拝後記
木々に囲まれた境内をあとにするとき、不思議と心が整っていることに気づきます。
ここには、長い時間をかけて積み重ねられてきた祈りと記憶が、静かに息づいています。
ただ参拝するだけでなく、境内をゆっくり歩きながら、その背景にある物語に目を向けてみると、見える景色が変わってきます。
流山の一角に残るこの森で、少しだけ立ち止まり、そんな時間に触れてみてはいかがでしょうか。
流山を訪れた際は、ぜひ一度足を運んでみてください。
2026.04.24 04:29 | comment(0)

布施弁天 東海寺の御朱印|関東三大弁天の見開き御朱印と楼門を現地レポ【千葉県柏市】

紅龍山 布施弁天 東海寺(こうりゅうざん ふせべんてん とうかいじ)で御朱印をいただきました。
布施弁天 東海寺
📋 基本情報
[紅龍山 布施弁天 東海寺]
所在地:千葉県柏市布施1738
駐車場:あり
アクセス:「柏駅中央改札」から徒歩約3分のバス停「柏駅西口」より「布施弁天」行の終点で下車徒歩すぐ

📝 参拝情報
開門時間:6:00〜18:00(本堂が閉まる時間)
御守授与所:9:00〜16:30
ご祈祷受付:10:00〜16:00

🖌️ 御朱印の種類と志納料
・通常御朱印
弁財天:ご本尊の御朱印です。
薬師如来:東海寺で授与されているもう一つの通常御朱印です。
「期間限定」「特別御朱印」などの頒布もあります。
志納料:通常御朱印、300円、季節限定などの特別な御朱印は1,000円~
受付時間:9:00〜16:30
授与場所:境内にある総合受付(授与所)にてご対応いただけます。


千葉県柏市にある「紅龍山 布施弁天 東海寺」をご紹介します。
ここはなんと、弘法大師・空海さまが1200年も前に開いたとっても歴史あるお寺。
「関東三大弁天」のひとつで、一歩足を踏み入れると、まるでタイムスリップしたような不思議で素敵な空気が流れているんです。

布施弁天東海寺「見開き御朱印」
「頂いた弁財天の見開き御朱印」
弁財天さまの美しさが際立つ見開きの御朱印、こちらは志納料1.000円です。

布施弁天 東海寺の鳥居
駐車場わきの参道入り口の「鳥居」
駐車場から参道へ向かおうとすると、目の前に鳥居が!
「あれ?ここってお寺だよね…?神社じゃないの?」
と、思わず立ち止まってしまいました。
実はお寺に鳥居があるのには、とっても深い(そして日本らしい!)理由があったんです。

🌸 なぜお寺に鳥居があるの?
調べてみると、そこには「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」という日本独自の文化が関係していました。
昔の日本では、神様と仏様を区別せず、同じ場所で大切に祀るのが当たり前だったそうです。
「ここからは神聖な場所ですよ」という印として、お寺にも鳥居が建てられていたんですね。

👉弁天様は、神様でもあるから
こちらのご本尊、弁財天様。
実は神道の「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」という神様と同じだと考えられているんです。
「神様をお祀りする場所」でもあるから、鳥居があっても自然なことなんですね。

👉歴史の波を乗り越えて残ったから
明治時代に「お寺と神社を分けなさい」という「神仏分離令」ができ、多くのお寺から鳥居がなくなってしまったそうです。
でも、布施弁天のように今も大切に残している場所もあるんだとか。

鳥居をくぐり、その先にある立派な楼門へと続く道は、なんだか神様と仏様の両方に守られているような、とても温かくて不思議なパワーを感じる空間でした。
「お寺だから」「神社だから」と決めつけず、どちらも大切にしてきた日本人の優しい信仰心がそのまま形になっているみたいで、なんだかほっこり。
皆さんも布施弁天を訪れた際は、ぜひこの「お寺の中の鳥居」に注目してみてくださいね!

布施弁天東海寺「楼門」
布施弁天東海寺「楼門」
竜宮城みたいな「楼門(ろうもん)」がお出迎え
文化7年(1810年)に建立された、総欅造りの楼門「最勝閣」。
一階部分は白い石造り、屋根は入母屋造(いりおもやづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)で、その形状はまるでおとぎ話の「竜宮城」みたい!

布施弁天 東海寺「楼門の彫刻」
楼門軒下の「彫刻」
木のぬくもりに包まれた門の中、細かい彫刻がぎゅっと詰まってて見てるだけでワクワクする…♡
一つひとつの表情や動きがすごく繊細で、まるで物語が広がってるみたい。
ちょっと立ち止まって、じっくり眺めたくなる可愛さと美しさです。

布施弁天 東海寺「楼門の四天王」
採色された美しい「四天王像」
門をくぐるとき、ぜひ階下に注目してみて。
力強い「四天王像」が安置されていて、私たちを悪いものから守ってくれるような、頼もしいパワーを感じちゃいます。

布施弁天 東海寺「三重塔」
「三重塔(さんじゅうのとう)」
やさしい朱色の三重塔が、空に向かってふんわり伸びててすごく可愛い…♡
くるんと反った屋根のラインもとってもおしゃれ。

昭和48年(1973年)、38代秀淳大僧正さまがお釈迦さまの教えに少しでも近づくために建立されたそうです。

布施弁天 東海寺「鐘楼堂」
「鐘楼堂(しょうろうどう)」
境内を進むと全国でも珍しい形の「鐘楼堂」が見えてきます。
下が十二角形になっていて、まるでドレスの裾が広がっているような優雅なカタチ。
軒下は、十二支などの彫刻で装飾されています。

文化15年(1818年)に建立された鐘楼堂の設計には、当時、奇抜な木製和時計や五角堂などを発明し「からくり伊賀」と呼ばれた飯塚伊賀七さんが携わっているそうです。
平成18年に、千葉県指定有形文化財に指定された、とても貴重な建築物です。

布施弁天 東海寺「本堂」
布施弁天 東海寺「本堂」
布施弁天 東海寺「本堂」
豪華絢爛!キラキラの「本堂」と彫刻
色鮮やかな装飾や、繊細な「彫刻」が散りばめられていて、いつまでも見つめていたくなる美しさです。
ご本尊の弁天さまは、金運・財運アップはもちろん、芸事や学問の神様としても有名。
「もっと自分を磨きたいな」という女子の願いも、優しく受け止めてくれそうですね。

🏯 98名の大名が集結!復興の物語が刻まれた壮麗な本堂
本堂はこれまでに幾度もの戦火により焼失してしまいましたが、本尊・弁財天を深く信仰していた当時の領主、本多豊前守の尽力により再建が進められました。
彼はなんと98名もの大名たちに寄進を呼びかけ、その支えを受けて、享保2年(1717年)に現在の本堂が完成したと伝えられています。

本堂の内陣天井には、寄進に関わった諸大名の家紋がずらりと並び、当時の信仰の広がりと結束の強さを感じることができます。
また、外陣の天井鏡板に描かれた迫力ある龍は、狩野派の絵師・狩野探舟によるもの。
歴史と美術が融合した見どころのひとつとなっています。

布施弁天東海寺「フォトスポット」
📸 思わずほっこり、かわいいフォトスポット発見!
本堂のそばでは、キュートなへびさんと龍さんが仲良くお出迎えしてくれます。
真ん中に並んで写真を撮れば、旅の思い出にぴったりの一枚が撮れますよ!

布施弁天 東海寺「子安地蔵と延命地蔵」
「延命地蔵と子安地蔵」
左側の大きな像が健康長寿の「延命地蔵」、右側の小さな像が子供の守護神である「子安地蔵」です。

布施弁天 東海寺「布施観音像」
幸せを願う「布施観音像」
利根川を見下ろすように立つ「布施観音像」は、そのお顔がとっても穏やか。
人々の暮らしを広く見渡し、救いの手を差し伸べてくれるとっても慈悲深い観音さまです。
そのお顔を見ているだけで心が浄化されるような、清々しい気持ちになれますよ。

布施弁天 東海寺「ぴんころ地蔵」
「ぴんころ地蔵」
境内には、思わずクスッとしちゃうお名前の「ぴんぴんころり地蔵」さまも。
「最期まで元気に、ぴんぴん過ごして、ころりと旅立てますように」
という、現代を生きる私たちに大切なお願いを叶えてくれる仏様なんです。

布施弁天 東海寺「茶屋花華」
🍵 参拝のあとは、茶屋「花華(はなはな)」でひと休み
たくさん歩いた後は、境内にある「茶屋 花華」さんへ。
ここでいただける甘味やお茶は、心まで甘く包み込んでくれるお味。
窓の外の景色を眺めながら、ゆっくりと参拝の余韻に浸る時間は、自分への最高のご褒美です。

⛩️ 参拝後記
大同2年(807年)に弘法大師空海さまがこの地を訪れた際、紅龍が光り輝く玉を授けたという伝説から「紅龍山」という名がついたそう。
そんなロマンチックな物語を知ると、さらに参拝が楽しくなりますね!
みなさんも、次の休日は「布施弁天」でパワーをチャージして、もっと素敵な毎日を過ごしてみませんか?
2026.04.23 15:36 | comment(0)
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御朱印ギャラリー
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夫婦で関東の神社やお寺を巡りながら、いただいた御朱印を記録しています。
参拝時の雰囲気、アクセス、混雑状況など、実際に訪れたからこそわかる情報を紹介しています。

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