熊谷市内の神社随一の広さを誇る上之雷電神社で御朱印を頂きました。
参拝日:2023.05.26

上之村神社・大雷神社
熊谷市上之16
🅿️あり

熊谷市上之に鎮座する上之村神社。
一見すると静かな村社に過ぎないが、地域の歴史と信仰の積層が確かに刻まれている。

■歴史を物語る「市内最古の鳥居」
境内の入り口で皆様をお迎えするのが、熊谷市指定文化財でもある「両部鳥居(りょうぶとりい)」です。
寛文4年(1664年)に建立されたこの鳥居は、木造としては熊谷市内で現存最古のもの。
四脚で支えられた独特のフォルムは、360年以上の風雪に耐えてきた力強さと、どこか優雅な気品を漂わせています。
くぐる際には、ぜひその柱の質感や歴史の重みを感じてみてください。

■上之村神社の歴史
上之雷電神社は、創建時期は不明ですが応永年間(1394年~1428年)に成田氏第12代当主・成田五郎家時により再興がなされたと伝わります。
その後は当地で勢力を伸ばした成田氏の庇護の下、有力な神社として隆盛していました。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原北条氏征伐の際、北条方だった成田氏の忍城が落城し、北条氏滅亡後に関東の領主となった徳川家康の支配下に組み込まれ、慶長9年(1604年)に上之村内30石の社領が安堵されました。
「久伊豆神社」あるいは「久伊豆明神社」と号していましたが、明治2年(1869年)に「上之村神社」と改称しました。
埼玉県内最大の雷電神社である摂社「大雷神社」は、およそ千年前に兵庫県豊岡市の雷神社より勧請したと伝わります。
大雷神社の造営に際して、忍城主・成田長泰が扉を奉納しており、この扉と大雷神社の本殿は上之村神社の本殿と共に埼玉県指定文化財となっています。


「手水舎」

■始まりは平安の昔から
上之村神社の創立は古く、平安時代まで遡ると伝えられています。
かつてはこの地を治めた豪族・成田氏一族の氏神として崇敬され、江戸時代には忍藩の藩主からも厚い信仰を寄せられました。
古くは「雷電神社(上之雷電神社)」とも呼ばれ、今も地域の方々からは「雷電さま」の愛称で親しまれています。


■全国でも珍しい「電気と神経」の守護神
当社の御祭神は、火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)をはじめとする神々です。
「雷」は古来より強大なエネルギーの象徴。そこから現代では、「電気産業の安全」や、体に張り巡らされた電気信号である「神経の病平癒」に霊験あらたかな神様として知られるようになりました。
電気工事に携わる方や、神経痛にお悩みの方、また「ひらめき(直感)」を求めるクリエイターの方々も多く参拝に訪れます。

古き良き歴史と、現代の暮らしに欠かせない「電気」を守る新しい信仰が共存する場所。
慌ただしい日常を少し離れ、歴史ある上之雷電神社で静かに手を合わせてみませんか?


今日は宮司さんがご不在で書置きでの対応でした。
社務所前にセルフで拝受できるようになっていました。


頂いた見開き御朱印、初穂料は1000円でした。
兼務社の御朱印も沢山ありましたが、今日は参拝できないので上之村神社・大雷神社のものだけ拝受しました。
2023.06.01 12:22 | comment(0)

天照山良忠院勝願寺(てんしょうざん りょうちゅういん しょうがんじ)で御朱印を頂きました。
参拝日:2023.05.24

迫力満点の仁王門

「天照山良忠院勝願寺」
所在地:鴻巣市本町8-2-31
駐車場:無料🅿有
アクセス:JR高崎線「鴻巣駅」東口から徒歩約10分

埼玉県鴻巣市にある「天照山 勝願寺」。
一歩足を踏み入れると、そこには徳川家康公ゆかりの「三つ葉葵」が随所に輝き、かつて関東十八檀林(僧侶の学問所)として栄えた厳かな空気が漂っています。
今日ご紹介したいのは、この寺に眠るひとりの女性、小松姫(稲姫)の物語です。

■徳川と真田を繋いだ「家康の養女」
小松姫は、徳川四天王の一人・本多忠勝の娘として生まれ、その聡明さと美貌から家康公の養女として迎えられました。
そして、信州の雄・真田昌幸の長男、真田信之へと嫁ぎます。
しかし、運命のいたずらか、関ヶ原の戦いで真田家は「父・弟(昌幸・幸村)」の西軍と、「夫(信之)」の東軍に分かれることになってしまいました。

■伝説の「沼田城登城拒否」
有名な逸話があります。
関ヶ原へ向かう途中の父・昌幸が、孫の顔を見ようと信之の留守にする沼田城を訪れました。
しかし、小松姫は「今は敵味方。たとえ舅殿(しゅうとのど)でも城には入れられませぬ」と武装して門を閉ざしたのです。
一方で、密かに城外の寺へ子供を連れて会いに行き、家族としての情を尽くしたとも伝えられています。
「公の義」と「私の情」、その両方を貫いた彼女の強さは、今も語り草となっています。

■なぜ鴻巣の「勝願寺」に眠っているのか?
小松姫は元和6年、病気療養のため草津温泉へ向かう途中に、ここ武蔵国鴻巣で波乱の生涯を閉じました。享年48歳。
彼女の死を嘆いた夫・信之は、当時から親交の深かった勝願寺にその分骨を納め、立派な墓所を建立しました。
現在も境内には、信之・信政親子と共に小松姫の墓(宝篋印塔)が静かに並んでいます。

■現代に息づく「人形のまち」の守り神
勝願寺がある鴻巣市は、日本屈指の「人形のまち」としても有名です。
毎年11月には、この勝願寺で大規模な人形供養が行われます。
大切にされてきた人形たちを供養するその光景は、どこか小松姫が家族を想い続けた深い愛情とリンクするように感じられます。


「本堂」
勝願寺の創建は浄土宗第3祖良忠が、鎌倉幕府第4代執権北条経時から箕田郷松ヶ岡(後の鴻巣市登戸)の地を寄進され、一宇を建立したことに始まり、良忠の師である勝願院良遍にちなんで勝願寺と名付けられたと伝わります。
創建の時期については建長4年(1252年)、正治元年(1199年)、文永年間(1264年~1274年)、文永元年(1264年)ともいわれ、箕田郷松ヶ岡の地の寄進者については鎌倉幕府第5代執権北条時頼とする文献もあるそうです。

天正7年(1579年)武州松山城主・上田氏一族の出である円誉不残が住職となり、文禄元年(1592年)2月に徳川家康が当寺を訪れた際、学徳の高かった不残が御前で法問論議を行うと、学徳に感銘を受けた家康から銀・玄米・和紙を贈られ、随行していた家臣の伊奈忠政と伊奈忠家、牧野康成らに当寺の檀家になるように命じられたそうです。
さらに、家康は三つ葉葵紋の使用を許可し、慶長9年(1604年)11月には寺領30石を寄進され、諸役免除となりました。
家康はたびたび鴻巣および当寺を訪れましたが、江戸幕府2代将軍の徳川秀忠や3代将軍徳川家光も家康と同様に当寺を詣でるなど、家康没後も徳川家との関係は維持されたそうです。


御朱印はこちらの新しい寺務所で頂けます。


ご本尊の直書きで300円です。

勝願寺の境内を歩くと、小松姫の墓所だけ少し空気が凛としている気がします。
徳川と真田、二つの大きな家を支え抜いた彼女の強さに触れに、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか?
春には美しい桜が、歴史の面影を優しく彩ってくれますよ。


仁王門を出た所で二匹の猫が仲良く陽なたぼっこしてました😺
2023.06.12 03:31 | comment(0)

幸宮神社(さちのみやじんじゃ)で御朱印を頂きました。
参拝日:2023.05.15

「幸宮神社」
所在地:埼玉県幸手市中4-11-30
駐車場:あり(無料)
アクセス:電車: 東武日光線「幸手駅」東口から徒歩約7分、圏央道「幸手IC」より約7分

埼玉県幸手市。
かつて日光街道の宿場町として栄えたこの街の面影を今に伝えるのが、駅から徒歩圏内にある「幸宮神社」です。
今回は、地元の人々に愛され続けるこの古社の魅力をご紹介します。

■見どころ
・本殿の彫刻: 文久3年(1863年)に再建された総欅造りの本殿には、昇り龍・下り龍、獅子、鳳凰、さらには四季の農耕の様子を描いた緻密な彫刻が施されています。

・幸手夏祭り(八坂の夏祭り): 境内社である八坂神社の祭礼として、毎年7月の第3土・日曜日に行われます。
7台の山車が市内を練り歩き、最終日の夕方には駅前に集結して勇壮に駆け上がる「花山(はなやま)」が見どころです。

境内は広くはありませんが、古い木々に囲まれた空気はとても澄んでいて、心がすっと軽くなるような感覚になります。
幸手駅からも近いので、権現堂堤の桜や紫陽花のシーズンの帰りに立ち寄るのもおすすめです。


幸宮神社の創立年代はは不明ですが、奉納品の中に元禄12年(1699年)3月吉日と記されたものがあり、それ以前にはあった事が推測できます。
日光街道と御成街道が交わる幸手宿の総鎮守として広く崇敬されてきたそうです。

派手な観光地ではありませんが、一歩足を踏み入れれば、400年以上続く祈りの歴史を肌で感じることができます。
幸手を訪れた際は、ぜひこの静かな社で「ほっと一息」ついてみてはいかがでしょうか?



書置きで拝受した御朱印
2023.05.17 17:54 | comment(0)
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関東を中心に御朱印巡りをしている夫婦です。
実際に参拝した神社やお寺の御朱印、アクセス、混雑状況をリアルに紹介しています。

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